2008年、35歳で中日ドラゴンズに移籍した和田一浩は、落合博満監督に“打撃の改造”を志願。落合監督は和田に対して「お前のバッティングを直すのには3年かかる」と伝えたという。そしてそこから、和田と落合監督の「打撃改造3年計画」が始まるのだ。

 ここでは、『証言 落合博満 オレ流を貫いた「孤高の監督」の真実』(宝島社)から一部を抜粋。和田一浩が語った「打撃改造3年計画」の内容と、落合監督の“オレ流”指導法を紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く

落合博満監督 ©文藝春秋

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「お前を競争させる気はない」という落合監督の言葉の意味

 和田の打撃フォームは独特だ。オープンスタンスで、左足を高々と上げて打つスタイルは「すくい上げ打法」と呼ばれた。大学・社会人を経て1996年にドラフト4位で西武に捕手として入団したが、このチームには捕手として黄金期を支えた伊東勤がいた。打撃でアピールするしかなかった。

 当時の土井正博1軍打撃コーチから体が開く癖を指摘されてオープンスタンスに変え、打撃でレギュラーをつかむべく、のちに1軍打撃コーチ補佐となった金森栄治(現・東北楽天ゴールデンイーグルス育成打撃コーチ)と二人三脚でフォームをつくりあげた。

 高めでも低めでも、来たボールに対してタイミングが合えば打ちにいけるようになり、最後は右手で押し込んで強い打球を放つ――。松井秀喜(現ニューヨーク・ヤンキースGM付特別アドバイザー)、イチロー(現シアトル・マリナーズ球団会長付特別補佐兼インストラクター)を凌ぐといわれる驚異的なスイングスピードでボールの下を叩き、強烈なバックスピンをかける打撃が特徴となった。その打球はライナーかと思いきや、スタンドインすることも。低い弾道がみるみる伸びていく飛距離は和田ならではで、その軌道は野球人生同様に大器晩成型だった。

 移籍後初めての春季キャンプ。その半ばに「バッティングを教えてください」と願い出る少し前、和田はキャンプイン早々に落合監督から「お前を(ほかの選手と)競争させる気はない」と言われたという。開幕に合わせて自己管理して仕上げてこい、ということを意味していた。