「何とお詫びをすればいいか」――突如、力道山の自宅に現れた“血を流した若い男”。彼はなぜ力道山に土下座しなければいけなかったのか? そして、力道山が公にしたくなかった、ある事件とは?
妻として国民的ヒーロー・力道山を支えた田中敬子さんを追った、ノンフィクション作家・細田昌志氏の新刊『力道山未亡人』(小学館)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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空白の七時間
午後六時、「千代新で呑み直すぞ」と力道山が叫んだ。
「千代新」とは赤坂の有名料亭である。永田町から程近く「長谷川」「金龍」と並んで、大物政治家の密談の場としても知られていた。
この日は午後九時から、TBSラジオ『朝丘雪路ショー』の収録に臨むことになっていた。リキアパートから千代新まで徒歩十分、千代新からTBSの社屋は五分ほどで着く。
猪木の肩を借りなければ歩けないほど酩酊していた力道山は「お前も来るか」と敬子に言った。
しかし、七カ月の身重でさすがにそうもいかない。
すると、にっこり笑って、しかし、はっきりとした口調でこう言った。
「今日は遅くなるから、先に休んでいなさい」
それだけ言うと、千鳥足で出て行った。
午前零時半、自宅の電話が鳴った。
「奥さん、先生はお戻りですか」
力道山の側近の吉村義雄だった。
「いえ、まだ、戻っておりませんが」
「そうですか」
「一緒だったんじゃありませんの」
敬子が訊き返すと、吉村はこう答えた。
「さっきまで一緒だったんですけど……。何もなければいいです。失礼します」
それだけ言うと、電話は切れた。
数分後、再び吉村から電話があった。