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「何とお詫びをすればいいか」玄関に現れたのは“血を流した若い男”…未亡人・田中敬子が今も忘れない「力道山が刺された日」の記憶

『力道山未亡人』より #1

2024/05/31
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「何とお詫びをすればいいか」――突如、力道山の自宅に現れた“血を流した若い男”。彼はなぜ力道山に土下座しなければいけなかったのか? そして、力道山が公にしたくなかった、ある事件とは?

 妻として国民的ヒーロー・力道山を支えた田中敬子さんを追った、ノンフィクション作家・細田昌志氏の新刊『力道山未亡人』(小学館)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む

国民的ヒーロー・力道山が隠そうとした、ある事件とは? ©文藝春秋

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空白の七時間

 午後六時、「千代新で呑み直すぞ」と力道山が叫んだ。

「千代新」とは赤坂の有名料亭である。永田町から程近く「長谷川」「金龍」と並んで、大物政治家の密談の場としても知られていた。

 この日は午後九時から、TBSラジオ『朝丘雪路ショー』の収録に臨むことになっていた。リキアパートから千代新まで徒歩十分、千代新からTBSの社屋は五分ほどで着く。

 猪木の肩を借りなければ歩けないほど酩酊していた力道山は「お前も来るか」と敬子に言った。

 しかし、七カ月の身重でさすがにそうもいかない。

 すると、にっこり笑って、しかし、はっきりとした口調でこう言った。

「今日は遅くなるから、先に休んでいなさい」

 それだけ言うと、千鳥足で出て行った。

 午前零時半、自宅の電話が鳴った。

「奥さん、先生はお戻りですか」

 力道山の側近の吉村義雄だった。

「いえ、まだ、戻っておりませんが」

「そうですか」

「一緒だったんじゃありませんの」

 敬子が訊き返すと、吉村はこう答えた。

「さっきまで一緒だったんですけど……。何もなければいいです。失礼します」

 それだけ言うと、電話は切れた。

 数分後、再び吉村から電話があった。