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77年、運命の夏

≪東京大空襲≫「生き延びることができたのは、ただただ運としか言いようがない」命からがら逃げた半藤少年が誓ったこと

≪東京大空襲≫「生き延びることができたのは、ただただ運としか言いようがない」命からがら逃げた半藤少年が誓ったこと

『文藝春秋が見た戦争と日本人』より#4

2022/08/12

source : 文春ムック 文藝春秋が見た戦争と日本人

genre : ライフ, 社会, 歴史

note

 中川で溺れそうなところを引っ張り上げてくれたおじさんもそうだし、このドタ靴をくれたおじさんもそうだけれど、大空襲のさなか、あんなひどい状況にもかかわらず、親切な大人がたくさんいました。

 今、あらためて溺れかけたあたりに行ってみますと、なぜこんな所であんなにたくさんの人が溺れて死んでしまったのかと思いますよ。たしかに当時は今よりずっと川幅も広かったですけれど、それにしても……。

金輪際、「絶対」という言葉は使うまい。

 生き延びることができたのは、ただただ運としか言いようがありません。

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 最初の一撃をいきなり受けた深川や本所のあたりは、向島あたりと比べるとはるかにひどい被害を受けていますし、亀戸の一帯も大勢の人が亡くなっている。

 さらに言えば、東へ行くか、西へ向かうかで悩んだ時に、私は東へ逃げて中川にたどり着きましたが、西へ行っていたらどうなっていたか。おそらく西の隅田川の方に逃げた人は、半分以上亡くなってしまったのではないですか。

 隅田川の言問橋(ことといばし)のあたりは、言葉に絶するような死体の山でしたから。戦後すぐに『リンゴの唄』を歌った並木路子さんも、隅田川に飛びこんでいます。並木さんはなんとか無事だったけれど、一緒にいたお母さんは亡くなってしまいました。私の空襲体験など、どちらかと言えばまだ幸運な方だったのかもしれません。

 はたして、私にとってあの空襲はなんだったのか。我が家の焼け跡にぼう然とたたずみながら、私はこんなことを考えていました。

 俺はこれからの生涯、二度と「絶対」という言葉は使わないぞ。「絶対に俺は人を殺さない」「絶対に自分の家は焼けない」「絶対に日本は勝つ」なんて言えない。そんなのはすべて嘘だと思ったんです。川で溺れかけた時に、たしかに私は誰かの手を振りほどいてしまったんですから……。

 金輪際、「絶対」という言葉は使うまい。それが、そのとき思ったことでした。

 それと「なぜ、こんなことが?」という問いが、小さな炎を上げて私の身体をつき動かしました。その炎がずっとそれからも長い間、身体のどこかでくすぶりつづけている、と思っています。昭和史に今ものめり込んでいるのは、きっと身体の中で炎が消えずに燃えているからなのではないでしょうか。

 

はんどう・かずとし 1930年、東京生まれ。東京大学文学部卒業後、文藝春秋入社。「週刊文春」「文藝春秋」編集長、専務取締役、同社顧問など歴任後、作家となる。著書に『日本のいちばん長い日』『聖断』『レイテ沖海戦』『ノモンハンの夏』『幕末史』『昭和史』など多数あり。2021年1月12日、逝去。

≪東京大空襲≫「生き延びることができたのは、ただただ運としか言いようがない」命からがら逃げた半藤少年が誓ったこと

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