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《戦後76年》「タマオト放送?まあ、エッチな人」なんていわれても… 半藤一利が記憶から消し去ることのできない、3つの“歴史的日付”

『歴史探偵 忘れ残りの記』より#1

2021/07/24

source : 文春新書

genre : ライフ, 歴史, 読書, ライフスタイル, 社会

 今年1月、90歳で亡くなられた半藤一利さんは、昭和史研究の第一人者として、『日本のいちばん長い日』や『ノモンハンの夏』などの著作を残しました。「歴史探偵」として、昭和史や太平洋戦争など、今につながる歴史について教えてくれた半藤さん。遺作となった『歴史探偵 忘れ残りの記』より、一部を紹介します。(全2回の1回目。後編を読む)

半藤一利さん ©️文藝春秋

国民義勇戦闘隊のこと

 8月は遠い敗戦を思う月である、とは亡き大岡昇平氏の言葉である。6日の広島、9日の長崎、そして満洲へのソ連侵攻、15日の天皇放送と、あの惨めであった日々を、老骨は思い起こさずにはいられない。「そんな昔話、いい加減にしなよ」「タマオト放送? まあ、エッチな人……」なんていわれても、昭和20年8月の、この3つの歴史的日付は死ぬまで消し去るわけにはいかない。

 何度も書いてきたが、毎年8月がくると終戦の詔書のなかの「戦陣ニ死シ職域ニ殉(ジュン)ジ非命ニ斃(タオ)レタル者及其(ソ)ノ遺族ニ想ヲ致(イタ)セバ五内(ゴダイ)為ニ裂ク」をぶつぶつ経文のようにとなえて起きるのを、毎朝のしきたりとしている。

 終戦の当時、わたくしは15歳、中学3年生。でも、国民義勇戦闘隊の一員として、米軍が本土上陸作戦を敢行してきたときには、爆薬をかかえて戦車に体当りすることになっていた。そのための訓練を何度かさせられた。

 当時の新聞にこうある。

「沖縄の戦闘は陸海軍将兵の鬼神(きじん)をも哭(な)かしめる勇戦敢闘にも拘(かかわ)らず、趨勢(すうせい)は我に不利にして、敵米軍はいよいよ本土上陸の野望を逞(たくま)しうしている。政府はこの戦局の重要性並(ならび)に沖縄本島における戦闘の体験に鑑(かんが)み、国民の戦闘組織を確立して、皇土(こうど)防衛の万全を期するため(後略)」

 そして6月23日、沖縄陥落の日に組織されたのが国民義勇戦闘隊であったのである。男は15歳以上60歳以下、女は17歳以上40歳以下(当時は満年齢ではなく数え年で)の全員が、その隊員にされることになった。つまり、15歳のわたくしはそのいちばん年若いほうの戦闘員であった。

 こうして国民の大半が「兵隊」になった。お蔭で全国の村々では村民総出の竹槍訓練やら匍匐(ほふく)前進訓練がはじまる。「気をつけいッ」の号令のもとに、顔を真ッ赤に身体をもじもじさせたおばさんが、「オラァ、子供を産んでからおかしくなったて。こらえると小便がでちまってよォ。こんなごんで勝つずらかァ」と、わたくしにそっとささやいたりしたのを覚えている。

 いまになると自動小銃をもつアメリカ兵を竹槍で刺し殺すつもりであったなんて、バカバカしい喜劇としかいいようがない。が、当時は真剣であった。あれから70年。突然、そんなことが思いだされてきた。

(2015年9月)