〈半藤さんは、司馬遼太郎と並んで「日本人の歴史観」をつくったお一人です。かけがえのない“語り部”を失って、いま大きな喪失感に襲われています〉
「週刊文春」や「文藝春秋」の編集長などを歴任した後、作家・ジャーナリストとして、昭和史を中心に多くの著作を残した半藤一利さん。1月12日に享年90で亡くなった、その死をこう惜しむのは、歴史家の磯田道史さんだ。
〈半藤さんは40歳も離れた私にも、何かと気遣ってくださいました。現上皇上皇后陛下に保阪正康さんと共に会われる際にも、お誘いいただきました。「若い歴史家に語り継いでおかなければ」という思いがあったんだと思います〉
「起きて困ることは起らないと信じこむ」
その磯田さんは、半藤さんによる「昭和史の検証」は、まさに「国民の共有財産」と言えるほど貴重なものであり、「今日のコロナ対応」にもそのまま活用できると指摘する。
〈もし半藤さんがお元気でいらっしゃったら、現在の「コロナ禍」についても、おっしゃりたいことがきっとあったと思うんです。というのも、「ソ連」を「コロナ」に置き換えれば、まさに今のことであるかのように、こう述べているからです〉
《考えてみると、人は完全な無力と無策状態に追いこまれると、自分を軽蔑しはじめる。役立たず、無能、お前は何もできないのか。しかし、いつまでもこの状況にはいられなくなる。逃れるために、いや現実は逃れることなどできないゆえに、自己欺瞞にしがみつく。ソ連軍はでてこないという思いこみである。来るはずはないという確信である》(『ソ連が満洲に侵攻した夏』)
〈これは、今日の我々の「コロナ」に対する態度と瓜二つです。
例えば、コロナ第三波の急激な感染拡大も、事前に専門家の警告があり、十分に予見できたことです。ところが“起きて困ることは起らないことにする”態度で、医療が逼迫する事態を招きました〉
〈“起きて困ることは起らないと信じこむ”は、これまでずっと繰り返されてきた日本人の悪癖だと、半藤さんは警鐘を鳴らしてきました〉
さらに、そうした「鋭い指摘」だけでなく「解決のヒント」まで半藤さんは与えてくれている、と磯田氏は強調する。
〈その半藤さんは、この悪癖を克服するためのヒントも与えてくれています。それが“場合分け想定”と“説明”です〉