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《戦後76年》「タマオト放送?まあ、エッチな人」なんていわれても… 半藤一利が記憶から消し去ることのできない、3つの“歴史的日付”

『歴史探偵 忘れ残りの記』より#1

2021/07/24

source : 文春新書

genre : ライフ, 歴史, 読書, ライフスタイル, 社会

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“風のたより”暗号

 昭和16年(1941)12月8日は何の日? と尋ねても、いまの若い人は正確には答えられないのではないか。この日にはじまった太平洋戦争もいまはもうはるかな昔ばなし。老骨はせいぜいわかりやすく「語り継ごう」と思うのであるが、スパイ小説や推理小説のネタになるような話が、いっぱい転がっているわけではない。

 以下は、なかでも少しマシかと思える暗号の話。戦争必至かとなった11月19日、日本の外務省は在外公館あてに万が一のときに備えて“風のたより”という暗号を知らせておいた。

(1)東の風、雨→アメリカとの危機。

 

(2)西の風、晴→イギリスとの危機。

 

(3)北の風、曇→ソ連との危機。

 この暗号は、短波放送の中間と終りにかならず2回くり返す。そしてこの放送があれば、すべての暗号書など必要な文書、機械を完全に処分せよ、との指示が加えられていた。

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©️文藝春秋

 さて、12月4日、この日、一日じゅう、数回にわたり、東京からの短波放送は「東の風、雨。東の風、雨」とアナウンサーが天気予報を伝えた。ほとんどの日本人が聞くことのない放送であったが。

 実は、その2日前、連合艦隊司令長官山本五十六(いそろく)大将はハワイに向けて進撃中の機動部隊に、暗号で、

「ニイタカヤマノボレ一二〇八(ひとふたまるはち)」

 の攻撃命令を発していた。

 ここで奇妙なのは、十数年前にNHKがまとめた『20世紀放送史』で、当の12月8日午前4時少し前にも、アナウンサーが、なんと、「ここで天気予報を申し上げます」と突然に前置きして、

「西の風晴れ。西の風晴れ」

 と短波放送した、というのである。いったい、これはどういうことか。日本の機動部隊の真珠湾攻撃開始は午前3時19分(日本時間)、陸軍部隊のイギリス領マレー半島敵前上陸のドンパチはさらにその1時間前にすでにはじまっていた。「東の風」も「西の風」もあったものではないじゃないか。

 一つ、考えられるのは、真珠湾奇襲はあくまで極秘にしておきたかった。それで目くらましに「西の風」とあわててやった。外交電報を残らず傍受して、風の暗号を承知していたアメリカ諜報部はあるいは目を白黒させたかもしれない。としても、日本の諜報戦はざっとこの程度のもの、まことにお粗末であるな。

(2017年1月)