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《戦後76年》「タマオト放送?まあ、エッチな人」なんていわれても… 半藤一利が記憶から消し去ることのできない、3つの“歴史的日付”

『歴史探偵 忘れ残りの記』より#1

2021/07/24

source : 文春新書

genre : ライフ, 歴史, 読書, ライフスタイル, 社会

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日本人は「黙禱」好き?

 年齢が85歳を超えたときから、小学校や中学校や高等学校(旧制)そして大学時代の仲間が集ってのクラス会は、すべてとりやめとなった。まだまだ俺は元気だぞと強がりをいうヤツもいるが、杖をつきつきでは、または年若い女房どの同伴じゃ、いつひっくり返るかわからない。まったく齢はとりたくないものである。

 そのクラス会で想いだすのは、これが20年ほど前から、会のはじまる前にかならずその年までの間に亡くなった友を偲(しの)んで“1分間の黙禱”をやったことであった。顔もロクに想いだせない友のためにかと、少々照れくさい気分にならないでもなかったが、とにかく眼をつむって頭を下げた。

 考えてみると、日本人はこの黙禱というのが好きなようである。太平洋戦争の後半なんかそれこそ黙禱だらけであった。戦場で生命を賭して戦う兵隊さんの“武運長久(ぶうんちょうきゅう)”を希(こいねが)って黙禱、勇戦力闘して亡くなった勇士のご冥福を祈って黙禱。それを「黙禱ハジメッ!」の号令一下、粛然(しゅくぜん)または茫然としてわれら悪ガキも頭を深々と下げた。なんと「止メッ!」の号令の待ち遠しかったことか。戦後はいつか「黙禱オワリ」と号令が変ったが、なぜか1分間はそのままのようである。

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 本当かどうか確認してはいないが、ときどきいまも黙禱しながら想いだす話がある。共産党の闘士の佐野学が逮捕されて裁判にかけられたとき、その公判廷で、「同志の霊にたいし黙禱を捧げたい」といいだしたというのである。裁判長はギロと眼をむいて、とっさに突っこんだ。

「奇なことを申すな。唯物史観のマルクシストが霊魂を云々(うんぬん)するのは、おかしいではないか」

 佐野がそれに何と反駁(はんばく)したか、それはわからないが、戦時下であっても共産党の会合では開会に当っては、まず右翼に惨殺(ざんさつ)された山宣(山本宣治)の霊に1分間の黙禱をするのがきまりであったそうな。

 そんな話を酒場でしていたら、いまは国連の総会議場でも「世界平和のために」黙禱をするよ、と物知りの友に教えられた。ただし、黙禱にあらずあちらでは「沈黙」なんだとか。「それが1分間かどうかそれは知らん」とその友もいっていた。

(2017年4月)

【後編に続く 「神風をよぶために十死零生の特攻が考えだされ、作戦命令として強制化…」 半藤一利が語る、やりきれない“狂気”の時代

©️文藝春秋

歴史探偵 忘れ残りの記 (文春新書 1299)

半藤 一利

文藝春秋

2021年2月19日 発売

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