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なぜベイスターズがスワローズを追いかける展開が楽しいのか

文春野球コラム ペナントレース2022

2022/09/07
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 8月下旬、4ゲーム差で迎えた対ヤクルト直接対決で壮絶なKO負けを食らった横浜DeNAベイスターズ。その後の中日戦3連勝でショックを振り払ったと思いきや、苦手の広島戦で3連続完封負け。そしてその裏では、こないだハマスタで打ちまくったヤクルトが中日に負け越した。中日は対ベイスターズ戦3勝15敗1分だが、ヤクルト&広島相手だと共に12勝9敗。相性というのは本当に不思議だ。

 それにしてもここ一番でのヤクルトは強い。6日の試合でも村上宗隆が52号ホームランをセンター左に放り込んだ。追いつかれた延長11回には無死満塁で村上が三振に倒れるも、塩見泰隆の2点タイムリーで勝利をもぎ取った。夏場までは独走態勢だった去年の日本一チームの底力。追いかけるベイスターズのファンは、他球場の経過をチェックする度にその強さをこれでもかと見せつけられている。

DeNA・三浦大輔監督とヤクルト・高津臣吾監督

 思い返せば、ベイスターズが強い年には何度となくヤクルトが立ちはだかっている。四半世紀前の1997年夏、奇跡の快進撃を見せた時も前を走るヤクルトにはどうしても追いつけず、9月2日、チーム初の天王山で石井一久にノーヒット・ノーランを食らい息の根を止められた。38年ぶりのリーグ優勝に輝いた翌98年は、マジック3で迎えた横浜での対ヤクルト4連戦で初戦からよもやの3連敗。悲願の地元胴上げは前年のリーグ覇者に阻止され、優勝決定は38年前と同じ甲子園に持ち越された。そして98年Vの最後の残り香とも言うべき2001年夏の追い上げも、8月16日、ヤクルト戦での「誤審」によってムードが萎んでしまった。そのプレーに関わったのはのちに監督としてベイスターズを立て直すこととなるヤクルトの新外国人選手、A・ラミレスだった。(参照:スワローズ時代のラミレスとベイスターズとの「不思議な縁」……19年前の“あのプレー”が流れを変えた

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在京セ3チームが盛り上がりを見せた1978年

 ここに1冊の古雑誌がある。1978年に出た『巨人かヤクルトか大洋か 乱セ3強夏の陣』という、週刊アサヒ芸能の臨時増刊号。この年川崎から横浜へ本拠地を移転して心機一転生まれ変わった横浜大洋ホエールズは、当時としては広かったスタジアムを味方につけて序盤から巨人と首位争い。6月からはヤクルトが浮上して三つ巴となり、ゴシップ誌でこうした別冊が作られるほどに在京セ3チームが盛り上がりを見せたのだ。

週刊アサヒ芸能1978年8月20日臨時増刊号『巨人かヤクルトか大洋か 乱セ3強夏の陣』。表紙に大洋・別当薫監督、巨人・長嶋茂雄監督、ヤクルト・広岡達朗監督が並ぶ。グラビアにはサヨナラ打を放ってバンザイする田代富雄・現巡回打撃コーチの写真も。 ©黒田創

 1978年の大洋は8月21日まで貯金10で2位と健闘するも、そこから15試合を4勝11敗と大崩れしてジ・エンド。逆にこの時期に勢いづいたヤクルトは9月に入って首位に立ち、球団創設29年目で初のリーグ優勝。大洋は最終的に64勝57敗9分と例年になく好成績を残したものの順位は4位。このチームが次に年間7以上の貯金を残すには、前述した快進撃の年、1997年まで待たねばならなかった。

 管理野球の広岡監督時代、ID野球の野村監督時代、その後も若松、真中、高津監督時代にリーグ優勝を果たしているヤクルトスワローズだが、創設期の1950年代から80年代にかけては大洋ホエールズと常に下位を争う存在だった。中でも80年代は以下の通りである。

1980年 ヤクルト2位 大洋4位
1981年 ヤクルト4位 大洋6位
1982年 大洋5位 ヤクルト6位
1983年 大洋3位 ヤクルト6位
1984年 ヤクルト5位 大洋6位
1985年 大洋4位 ヤクルト6位
1986年 大洋4位 ヤクルト6位
1987年 ヤクルト4位 大洋5位
1988年 大洋4位 ヤクルト5位
1989年 ヤクルト4位 大洋6位

 これぞドングリの背比べ。ゆえに大洋ファンは毎年夏場に上位進出の芽が消えると、「ヤクルトよりは上の順位で終わりたい」と目標を切り替えるのが常だった。おそらくヤクルトファンも「大洋だけには負けたくない」と思っていたはず。とはいえ両チームの対戦でスタンドが殺伐とした雰囲気になることはなく、むしろ牧歌的ムード。当時のハマスタ外野席は全部自由席。ライト、レフトの行き来もできたので、ホエールズ友の会の招待チケットで入場し、試合後半になるとWの大洋帽子を被ったままレフトに移動。岡田正泰応援団長のヤジを堪能するのはヤクルト戦の楽しみだった。この時代、いろんな場所に移動しながら観た大洋-ヤクルト戦は個人的な原風景のひとつだ。

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