若竹さんの声を聞いていると、不安や諦観が先に立つ「老い」へのイメージがだんだん変化してくる。老いるとは豊穣で楽しくて、待ち遠しいものなのかもしれないではないか。
「私もそういうつもりで『おらおらでひとりいぐも』を書いていたんです。でも私でも、じつはまだ少し若かったみたい。というのは最近、坐骨神経痛になりまして。これって脚がすごく痛くなるんですよね。これはたいへんだ、私は本当の老いをまだまだわかっていなかったと痛感しました。作品の中で桃子さんは、足を痛めているのに墓詣りの長い道中を行きます。なんて過酷なことをさせてしまったんだろうと反省しました(笑)。
老いとは肉体的な衰え、痛みや苦しみとも道連れ。私はいったいどうなっていくんだろうという不安をいつも抱えて生きていくことになる。そこがまだ本当にはわかっていなかった。
今63歳の私は、これから老いていきます。自分が体験する老いを同時進行で書いていけば、桃子さんの物語とは違った小説もできる気がします。私の老いも小説も、まだまだこれからですね」
作中、「桃子さん」はこんなことを考える。
〈人は誰にだってその人生をかけた発見があるのではなかろうか。〉
〈桃子さんの場合は「人はどんな人生であれ、孤独である」というひとふしに尽きる。〉
人生の終わりにかけて、これを見つけるために人生があったんじゃないかと考えられる一語があるのではというのだ。そういうものかもしれない。では、若竹さんにとっての、かけがえのないひとふしとは?
「そうですね、私も桃子さんと同じように、人生は孤独なものだと思うんですよ。夫が元気なときも私たちは仲の良い夫婦だったとは思いますが、それでも人は根本的に孤独なものという感覚は持っていましたしね。
だけど、孤独というのは必ずしもマイナスじゃないとも感じています。孤独だからこそ人は自分との対話を繰り返して、いろんなことを内心から見つけていくことができる。
孤独であり、孤独を友にする。それが生きているおもしろさなんじゃないでしょうか。私は外界よりも自分の内側を見たいタイプなので、よけいに孤独をよしとしてしまうのかもしれませんけれど。いろんな老いや孤独のかたちを、小説を書くことでしっかり見つめていきたいです」
学生時代から小説に憧れ、書くことは続けてきたという若竹さん。けれど主婦として生活に追われ、本格的に執筆をする機会はなかなか訪れなかった。
55歳のときに夫を亡くし、寂しさを紛らすつもりもあって小説講座に通い出し、改めて腰を据えて執筆しはじめた。
63歳になる現在まで、小説への思いが途切れなかったのはなぜか。
「思えば私は、表現したい人だったんですね。それが私の欲望の一番の大本として、いつもあった。その欲望に素直に従ってきたから、60歳を過ぎるまで飽きずに小説との関わりを続けられたんだと思います。
河合隼雄さんの著作が好きでよく読んでいるんですが、河合さんは言っています。人は自分のために生きるとき、いちばん力を出せるのだと。もっともだなと思います。いつも自分の本当の欲望を実行しようとしていれば、それは何であれ苦になったり途中で投げ出したりはしないものなんじゃないでしょうか」
写真=白澤正/文藝春秋