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自分が患者になったことで実感した、医療の驚くべき進化 医者が体験した「治る治療」

2018/05/03
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「先生、ヤバイよ! がんだと思う」

 2011年の9月23日、窓の外に台風の嵐が吹き荒れる中、私は電話でがんの告知を受けました。

 担当医は大学の1年後輩で、私のホームドクターの皿井靖長先生。学生時代からの懇意な関係ですから、こんな言葉になったと思いますが、「ヤバイよ!」とは、ずいぶん気軽な告知でした。

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 じつは40年以上前にも、私はがんの告知を受けたことがあります。結果的に誤診だったのですが、そのときは、家内も一緒に診察室に呼ばれ、重々しく、

「覚悟してください」

 と言われたものでした。

 皿井先生は間違いなく名医であり、私の命の恩人です。この気軽な言葉は、がんがいまや「不治の病」ではなく、「治る病」になったことの証しだと私は考えています。

 もう28年も昔のことになりますが、私は月刊文藝春秋に「癌を告知する時代が来た」という原稿を書きました。

 それまで、がんの告知は死の宣告と同じように扱われ、ほとんどの場合、医者から患者さんに直接告知されることはありませんでした。しかし、治療法がどんどん開発され、がんであることを理解したうえで治療を受けたほうが治りやすい場合が増えてきたことから、がんは告知すべきである―。そんな趣旨の原稿でした。

中原 英臣医師 ©文藝春秋

 あれから4半世紀、すでにがんの告知は当たり前のことになりました。そして、自分自身ががんになってみると、さらに驚くことがたくさんありました。

 がんは治る病気であることを実感する出来事がたくさんあったのです。私は医者ですから、普通の患者さんよりは多くの知識があります。それでも、びっくりすることがあるのですから、この病気で悩んでおられる患者さんや、今後自分ががんになったらどうしようと不安を感じている読者の方は、なおのことと思います。

 そこで、みなさんが勇気をもってこの病気と向き合うことができたら、そう考えて、この原稿を書くことにしました。

 最初に一言お断りしておきたいのは、“治る”という言葉の意味についてです。多くの人は、治ると言ったとき、“完治”を想像します。つまり、その病気とは今後一切関わりがなくなる、完全にオサラバであると。しかし、世の中の病気で、完治するものなどほとんどありません。感染症ならば、原因となる細菌やウイルスを退治してしまえば完治します。しかし、心臓病や糖尿病などは、症状は緩和したとしても、オサラバすることはできません。一病息災を心がけ、健康に留意して暮らしてゆくのです。がんだけ、完治にこだわる考え方はいかがなものかと思います。

命を救ってくれた「触診」

 私は66歳のときにがんになりました。そして2015年の1月に70歳になった。この病気と上手に付き合う、つまり適切な治療を施すことで、QOL(生活の質)を落とさずに、あと10年楽しく暮らしていくことができたら、それは天寿を全うしたといえる、と考えています。そういう意味で、がんは治る病気になったのです。

 私のがんは中咽頭という、のどにできたものでした。

 2011年の7月、私は軽い夏風邪にかかりました。私は風邪をひくとのどにくるタイプなので、いつものようにホームドクターで耳鼻咽喉科の皿井先生のところへ行って、抗生物質をもらってきました。そのとき、皿井先生が私ののどを触診したところ、リンパ腺が腫れているようでした。

 この触診が私の命を救ってくれました。最近の医師は触診はほとんどしません。そんな医者をホームドクターにしていたら、今ごろあの世に行っていたでしょう。

 そして2カ月ほど抗生物質を服用したのですが、腫れがひきません。そこで念のため、MRI検査をしてはどうかと勧められ、9月の中ごろに専門クリニックでMRI検査を受けました。その結果が冒頭に述べた、「がんだと思う」という一言だったわけです。

 そこで、皿井先生の紹介で、国立がん研究センター中央病院で診察を受けることにしました。昔と違って、今はカルテからいろんな検査のデータまで、すべてCD一枚に入っています。それを持って担当の浅井昌大先生をお訪ねしました。そこで中咽頭がんであることが確定したわけです。

治療しながら仕事を続ける

 ステージはⅢ期のb。私の古い医学知識だと、もって3、4年……。私もさすがに落ち込みました。しかし、浅井先生は意外と落ち着いておられる。40年前に誤診で告知されたときは、担当の先生も大慌てという感じでした。たいへんだ、たいへんだ、すぐに切らなくてはダメだ、仕事? そんなこと言ってる場合じゃないでしょ……。そんな感じでした。ところが、このときは違いました。