文春オンライン

「私のことをいちばん信じてくれたのは…」平野綾(35)を支えた家族の言葉とニューヨークの“事件”〈芸能生活25周年〉

平野綾さんインタビュー#2

2023/04/02

genre : エンタメ, 芸能

note

――それはメンタルが鍛えられますね。

平野 歌や語学の面で学ぶことは多かったんですけど、精神的にもだいぶ鍛えられました。

――精神的に変わったと思うところは?

ADVERTISEMENT

平野 他人との距離の取り方が変わったように思います。“自分の居方”というんでしょうかね? 「まあ、私は私だしな」と気負いなく思えるようになったので、仕事の現場でも気が楽になりました。そこは大きな変化ですね。

「うちのママ、すっごく可愛いんですよ」

〈幼少期に育ったニューヨークで様々な経験を重ねた平野。その後も毎年現地に足を運んでいるという。2019年には、ともに病床の父を支えた家族である母とも旅行で訪れている。しかしその時、事件が……〉

――お母様とはどんな関係ですか?

平野 うちのママ、すっごく可愛いんですよ。純粋で嘘がないし、いいことも悪いことも、すごく素直な意見を言ってくれる人です。姉妹とか友達みたいな感覚……というか、ときどき私のほうが母なんじゃないかと思います(笑)。

(平野さん提供)

――お父様が亡くなられたあとは、いかがでしたか?

平野 ずっと看護していたので、かなり参っていました。正直、母をひとり残して留学に行くのは心配でもありましたが、いまこのタイミングで行かないと私も後悔すると思って決行したんです。

――2019年にお母様とニューヨークに旅行に行かれたようですが。

平野 私自身は、2016年に短期留学してからも、年に2回はニューヨークに行ってレッスンを受けたり、ブロードウェイでミュージカルを観たりしていたんですけど、ニューヨークに住んでいた時以来、約30年ぶりに母と一緒にニューヨークに行くことにしたんです。ブロードウェイで好きなミュージカルを観て、元気になってほしいなと。

――まだ幼い平野さんを連れてニューヨークに渡った時代のことは、そのときに話しました?

(平野さん提供)

平野 しました。「ノイローゼになりそうだった」と言ってました。

 父は自分の仕事の関係でニューヨークに渡りましたけど、母はニューヨークで暮らしたかったわけではないんですよね。それでも一生懸命に英語を勉強して、幼い私を保育園に連れて行ったんです。当時はまだ日本人も少なく差別もありましたし、すごく治安が悪くて、「絶対に地下鉄は乗っちゃいけない」と言われていたそうです。

関連記事