2006年に放映されたTVアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』は、ゼロ年代を代表する大ヒットシリーズとなった。涼宮ハルヒ役の平野綾は一躍スターダムにのし上がり、『DEATH NOTE』(弥海砂)や『らき☆すた』(泉こなた)、『絶対可憐チルドレン』(明石薫)など次々と当たり役に恵まれ、“アイドル声優”の先駆的な存在として不動の人気を得た。時の人となった平野だが、その裏で本人は悩みを深めていた――。

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人生が一変した『ハルヒ』の裏で…

――『涼宮ハルヒの憂鬱(以下、『ハルヒ』)』がブレイクしたときには、どのように感じていましたか?

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平野 まったく実感がなかったです。放送が終わったあとも、人気があることがわからないくらいでした。ただ、急に周りが「すごい、すごい」と言い出すようになり、気づいたら取材が殺到するようになって、まるで何かに巻き込まれたような感覚でした。

 

――当時はいまほどSNSが普及していませんでしたが、動画サイトに主題歌の「ハレ晴レユカイ」を踊ってアップするファンも多く、社会現象のようになっていました。『ハルヒ』以降、急に忙しくなりましたか?

平野 人生が変わりました。ハルヒに「あんたの決められた道はこれよ!」と、連れていかれたような感覚があります。

――『ハルヒ』は声優プロダクション所属の声優ではなく、芸能プロダクション所属の平野さんがメインで起用されました。それは当時のアニメ業界では、珍しいことでした。

平野 その前にも、子役の一環としてアニメ声優をやったことがあったんですけど、その後、当時の所属事務所の方針でアイドル活動(Springs)をやるようになってからは、声優業からは離れていました。

 

 アイドル活動は、ハッキリ言ってしまえば「鳴かず飛ばず」で。自分のやりたいことは何もできないし、芸能活動に対して「うまくいかないな」と感じていました。だから、みなさんに見てもらえて評価していただけたのは、うれしかったんです。ただ、『ハルヒ』以降は、どこの現場に行っても「ハルヒの人」として見られるようになって……。

「ハルヒっぽくやってください」への“戸惑い”

――それは嫌でしたか?

平野 全然、嫌じゃないんですよ。ただ、「ハルヒっぽくやってください」と注文されるようになったことに戸惑いはありました。