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 自分としては、ひとつひとつの作品にもっと時間を費やして、準備をしてから役に臨みたかったんです。もっと咀嚼してお芝居をしたい。ひとつひとつの役に没頭したい。だけどそれができなくて、中途半端なまま数をこなしているというか、役を量産しているような感覚になっていました。お仕事に見合った力や技術を身につける前に、ステージだけが用意されているようなものです。

 準備が足りないままリクエスト通りにハルヒっぽくお芝居をして、自分では注文以上のことが出来ていないと感じているのに、「それでいいですよ」と言われて「ああ、悔しいな」って……。そう思うことが多かったですね。養成所に通って声優としての技術を学んだわけではないので、持っているものでどうにかしなくちゃいけない。アウトプットしかしていなかったので、「私にはいつインプットの時間があるんだろう」と思っていました。

――その役柄のことを本当によく考えて準備して、可能であれば、その仕事の期間はその役しかやりたくない……という感じですか?

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平野 わがままを言えば、そうなります。でもそういう訳にもいかないので、いただいたお仕事は責任を持って全うさせていただきますが。そのお仕事の期間は「その人(役)として深く生きたい」と思っています。

 

「『学校大嫌い!』って思っていましたから」

〈2023年で芸能生活25周年になる平野綾。幼いときから役者としての人生を歩み始めた彼女だが、「私はハルヒみたいに元気でみんなを引っ張っていく人じゃない。もともとはあまり自分を表現できない、空気みたいな存在だった」という。今の道を選ぶきっかけは、幼い頃の原風景にあった。〉

――役者を目指すことになった、そもそもの動機は?

平野 父の仕事の関係で、2歳から3歳までニューヨークに住んでいました。両親ともに舞台が好きで、そのときに連れていってもらったブロードウェイの『ピーターパン』がものすごく記憶に残っています。ワニが怖すぎて、いまでも夢に出てくるくらいです(笑)。家でも一日中、ディズニー映画を観て歌っていたので、その頃からミュージカルが好きだったんですね。

――ニューヨーク時代のことはどのくらい記憶にありますか?

平野 断片的ではあるんですけど、覚えているところはすごく鮮明に。『アナザースカイ』(日本テレビ)のロケ(2011年6月24日放送回)で、当時通っていた保育園に行ったんですけど、教室や体育館の場所は覚えていました。あと、私が引きこもって泣いていたトイレとか(笑)。帰国してからも、家では浴びるようにミュージカル映画を観ていました。

――そんなに早くからミュージカルにハマっていったんですね。まだその年齢だとそれだけ見ている同級生も少なくて、話が合わなかったのでは?

平野 合わなかったですね……。そもそも私は、すごくおとなしい性格だったんです。ハルヒとは正反対の。引っ込み思案で自分から話しかけることができなくて、それが原因でいじめられることもあって、「学校大嫌い!」って思っていましたから。

――そんな性格の子が「ミュージカルをやりたい」と言い出したら、両親は心配されたでしょう。反対されませんでしたか?