子役時代には声と容姿のギャップから年齢相応の役が回ってこなかったけど、声の仕事ならそういったことを考えなくていい。これは自分に合った仕事だと思っていました。だから「タレントとして売り出したい」という事務所の方針とは、方向性の違いを感じるようになってきていましたね。

 

――20代に入って以降、体調のほうはいかがでしたか?

平野 あまりの激務で1カ月のあいだに二度も入院したことがありました。そこで、自分のやりたいことを自分のペースでやっていかないと、30代以降になったときに仕事ができなくなってしまう、と考えるようになって。それで環境を変えたいと思い、より自分の方向性を後押ししてくれる事務所への移籍を申し出ました。

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24歳で初舞台。抱えた“不安”

――平野さんからは、なんだか「逆境で発揮するリベンジメンタリティ」のようなものを感じますね。

平野 そこは自分でも強いと感じます。

――ご自身でいちばん逆境と感じたのはいつですか?

平野 2010年から2011年の頃ですね。すごく不思議なんですけど、「ニュースソースはどこにあるの?」って感じのことで、ワーッと騒がれました。声優の仕事を続けられるように働きかけても、テレビの仕事をするようになったら、「平野は声優の仕事をやりたくないんだ」と、根も葉もない噂が出る。

 

 そういうときは何を言ってもしょうがないし、「自分のやってないことに答える必要はない」と思って、完全に「知らない」という姿勢を貫き通しました。分かってほしい人たちに理解してもらえないやるせなさがものすごくて、いま思うとあれは私のメンタルがいちばんたいへんな時期で、かなり戦いましたね。

――事務所を移籍する直前に、『嵐が丘』で初舞台を踏みます。さきほどの年齢感でいうと、24歳で初舞台というのは……?

平野 遅いですね。一般論としては決して遅くないので他の方だったら違いますが、私の場合は子役から始めて舞台を目指してこの年齢ですから、本当に遅かったと思います。しかも、子役時代にレッスンで学んだっきり、アイドル、声優と、まったく別の仕事をやっていたので、その間に舞台への準備や勉強ができていたわけではありません。すごく不安でした。

 そのとき私は、何も持っていなかったんです。

写真=原田達夫/文藝春秋

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