「DAICON Ⅲ」「DAICON Ⅳ」のオープニングアニメ、『帰ってきたウルトラマン』と、自主制作ながら次第に大きくなっていく作品の規模。その現場で庵野秀明氏が感じていた責任感とは? 好評インタビューの第3回。(全4回の3回目/4回目に続く) 

©藍川兼一

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『帰ってきたウルトラマン』で苦しんだ理由

―― その後、DAICON Ⅳの前に『愛國戰隊大日本』では特技監督でクレジットされています。

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庵野 あれは監督の赤井のお手伝いでしかなくて。

―― 特撮の手伝いもしていたんですね。

庵野 やれることはやっていた感じですね。

―― 完全を目指すから、ミニチュアとかも駄目出しがすごくて、「こんなクオリティだったらやらないほうがマシだ」みたいな感じだったと聞きました。

庵野 やるからにはちゃんとやりたいというのはあったと思いますね。

『愛國戰隊大日本』 ©DAICON FILM

―― 僕はプロになってから、自主映画では納得できるまで撮り直したりして作り込めたのに、プロになると時間や予算の都合で妥協しなきゃいけないという現実に直面して、「だったら映画なんか撮っていいんだろうか」みたいなことを思ったんですけど、庵野さんは自主映画で既に同じような思いを持たれていたんでしょうか?

庵野 そうは言ってもちょっとこういうのができますという素人が集まってやっているものですから、自主制作で。それもボランティアで手弁当ですからね。お金が出るわけでもなく、好意でやってくれているわけです。こういうのが面白いから、楽しいから、または1本映画を作るという作業を経験したいから。そういう別のところに満足があって、スタッフの人たちは作業をしてくれているわけです。だから、それに応えないといけないですよね。そっちの重圧のほうが強かったと思います。中途半端なものは作れない。だから、個人的にはプロのほうが楽ですね。お金を払ってる、っていう。お金という等価交換がありますから、「だったらこれだけのクオリティで上げてください」と言えますけど、学生にそれは言えないですよね。自分もそういう立場じゃないですから。役職として監督なり何なりみたいなものをその場で与えられてやっているだけなので、上下という感覚ではないんですよね。同じスタッフの中で、責任が自分にあるというだけですね。