―― その人たちに対して、あんまり中途半端なものを作ったら参加した意義がなくなっちゃうから。

庵野 申し訳ないと。

―― そういう責任感があったんですね。

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庵野 そっちのほうが大きいですね。「自分の作りたいものになってないからこれは駄目だ」ではなく、「このクオリティではみんなに申し訳ない」という、そっちのほうですね。そっちが強かったと思います。赤井もそうだと思います。

―― 『帰ってきたウルトラマン』ではなかなかコンテが進まなかったという話もお聞きしましたけれど、そんな感じだったんですか?

『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』©円谷プロ  ©DAICON FILM

庵野 そうですね。岡田斗司夫さん(注1)が書いていたホンが部分的に空白だったんですよ。

―― 脚本が。

庵野 いわゆる脚本というかたちではなく、ラフなプロットと部分的な台詞がザックリと書かれたメモでした。そのメモを再構成して空白部分を埋めて絵コンテという形に整えるには、ちょっと時間がかかっちゃいましたね。赤井をはじめスタッフを待たせて申し訳なかったです。

 あと、やっぱりさっき言ったようなプレッシャーが大きかったです。絵コンテが面白いかどうかで作品の出来がほぼ決まるじゃないですか。東梅田にあったSF大会の事務所で缶詰めになって、1週間から10日ぐらい絵コンテばっかり描いてましたね。それで仕上げた。缶詰めというのを自主制作で経験してますね。

―― その意味では、自主映画とはいえ。

庵野 作り方はプロに近い。

―― そうなんですね。配信もあったので改めて見ましたけれども、1カットごとのクオリティというか、こだわりというか、すごいですね。

庵野 でも、あれはほとんど赤井の力です。カメラマンと。自分は被写体のほうに回っていたので、アクションのほうになると。

―― 赤井さんはその前から自宅の中で日夜セットを組んでミニチュア撮影をするとかやっていた方だったんですね。

庵野 ええ。赤井が特撮をやっていたので、自分も特撮のほうもちょっと撮るようになった感じですかね、本格的なのは。

『超時空要塞マクロス』に参加

―― DAICON Ⅳのオープニングアニメーションがその後ですよね。今見返してもアニメーションの力がプロレベルというよりもプロの中でも第一線級だと思うんですけど、あの作画力というのはどこで身につけたんですか? 見て学べるものだったんですか?

庵野 まあ、描けちゃったというのが。