―― 僕も中学の時に初日の朝、渋谷パンテオンに並んだ口だったんですけど、それまでのアニメと違うという思いでそこにみんな集まっていたような気がしました。

庵野 『ヤマト』はエポックメイキングですよね。あれがなかったら今のアニメーションもなかったとは思います。あれがアニメーションを変えたと思います。

©藍川兼一

―― 『ヤマト』を見てアニメを描きたいと思った人たちが育って、『マクロス』とかで出始めたのかなと思っていました。

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庵野 そうですね。『マクロス』あたりからじゃないですかね、メインで出てきたのは。

―― ですよね。

庵野 アニメーターとかはその前からちょこちょこいたかなとは思います。

面白かった『風の谷のナウシカ』の現場

―― DAICON Ⅳが1983年で、その後に『風の谷のナウシカ』とか『劇場版マクロス』に参加されているんですよね。

庵野 はい。

―― プロの中に本格的に入って、『ナウシカ』ではいろんな新しい経験をされたと思うんですが。

庵野 そうですね。やっぱり宮崎(駿)さんの現場だったので面白かったですね。宮崎さんも外様だったので、トップクラフト(注6)では。僕みたいなのがポンと入れるような隙間もあって。あれがテレコム(注7)とかで作っていたら、僕なんか入る余地はなかったと思います。だから、運がよかったかなと思います。『マクロス』も、学生のアルバイトがすぐに原画をさせてもらえるぐらい、現場は大変な状況でしたね。

―― そういう意味では隙間があったというか。

庵野 ええ。そういう入り込める隙間がある現場に連続して行けていたというのがよかったのかなと。

―― トップクラフトはどんな現場だったんですか?

庵野 宮崎さん自身が外様ですから。自分がずっといたスタジオではなく。

―― 演出として一人で入ったかたちだったから。

庵野 ですし、作画監督の小松原(一男)さんも美術の中村(光毅)さんも、基本的には鈴木(敏夫)さんが集めた寄せ集めのスタッフだったので。

1)岡田斗司夫 プロデューサー、評論家。アニメ制作会社ガイナックス初代社長。
2)友永和秀 アニメーター。『ルパン三世 カリオストロの城』ではカーチェイスのシーンの原画を担当。
3)スタジオぬえ SF作品のメカニックデザインなどを得意とする企画制作スタジオ。
4)前田真宏 アニメーター、アニメ監督、デザイナー。監督作品『青の6号』『アニマトリックス』など。
5)貞本義行 漫画家、アニメーター。『王立宇宙軍 オネアミスの翼』キャラクターデザイン・作画監督、『新世紀エヴァンゲリオン』キャラクターデザインなど。
6)トップクラフト 日米合作のアニメーションを制作してきたアニメ制作会社。
7)テレコム・アニメーションフィルム アニメ制作会社。『カリオストロの城』『じゃりン子チエ』など制作。