『超時空要塞マクロス』『風の谷のナウシカ』にアニメーターとして参加した後、庵野秀明氏らのグループは商業作品の制作に乗り出す。その『王立宇宙軍 オネアミスの翼』を観た小中和哉監督は、同世代からトップレベルのアニメ作品が登場したことに衝撃を受けた――。好評インタビューの第4回。(全4回の4回目/最初から読む)
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『王立宇宙軍 オネアミスの翼』の制作が始まる
―― 『ナウシカ』とか『劇場版マクロス』でアニメーターとして参加された後、DAICON FILM(注1)で今度は商業映画を撮ろうという話になると思うんですけれど、どんな感じで企画は始まったんですか?
庵野 立ち上げの頃、僕は東京にいて時々上京してきた人から様子を聞くぐらいだったので、よく分からないです。僕が知っているのは会社ができてからですかね。
―― DAICON FILMからガイナックスへ。
庵野 ガイナックスという、スタジオでもないですね、会社ができて、パイロットフィルムを作るというあたりからは、メインではいたので分かりますけど。そこに至るまでというのは、人から聞いた話でしかないのでちょっとよく分からないです。
―― DAICON FILMがSF大会向けのパロディから始まった流れの中で、本格的に映画を1本立ち上げて作ろうとした時に、すごい意欲作と言いますか、オリジナルな内容になりましたよね。DAICON Ⅳが83年で、翌年ぐらいから『王立宇宙軍』の企画が始まって、公開が87年ですよね。改めて振り返るとその間の時間の短さにビックリします。8ミリでアニメを作るために集まった学生たちがすぐに商業映画を作り始めて、しかも当時のアニメーションのトップレベルの作品を作ってしまったというのが奇跡だと思うんです。庵野さんは当事者としてその辺はどう感じていますか?
庵野 みんな若かったんですね。勢いで作れたと思います。あとは周りの尽力ですよね。
―― 庵野さんの先ほどのお話を聞いても、ペーパーアニメからそんなに時間があったわけではないですよね。プロの現場をいくつか経験したにしろ、あの映像が作れたというのはすごいなと思うんですけど。
庵野 やっぱり勢いじゃないですかね。