―― あの路線でやろうという流れになったのはどうしてですか?
庵野 全然分からないです。直接かかわってないので。山賀が言うには、庵野がいるから庵野を使ってクライマックスをやろうとなって、ロケットの打ち上げと、その周りで戦闘シーンを入れればいいんじゃないか、みたいな発想だったと聞いたことがありますけど。
―― まさにクライマックスはそういうところが見せ場になってましたね。
庵野 あとは、貞本にキャラを作ってもらったり、近くにいる人で何が作れるだろうとして導いた作品かなと。最初に人ありきだった気がしますね。
―― 異世界の雰囲気とか、一つの文化を丸ごと作ろうとしたこととか、その後も誰もやれてないし、やろうとした人もいなかったことを、当時実現させたのがすごいなと、改めて見て思いました。
庵野 みんな若かったですからね。ほとんど大学生とか、大学を出たばっかりのスタッフがメインですから。
世代の変わり目が見える『ビオランテ』『ティガ』『クウガ』
―― 僕は自主映画の先輩たちがどんどんプロデビューしていく流れを横で見ていたんですけど、東京で自主映画をやっていた人間からすると、大阪の自主アニメをやっていた人たちは自分たちだけの力で早くも商業映画の超大作を作ってしまったのかと、驚きの目で見ていました。アニメはそれができちゃうのかと、すごく感心したんですよね。
庵野 たぶんアニメだからですよね。当時のアニメーションの勢いというのはありますよね。実写、特に特撮は、ちょっと右肩下がりで。
―― そうですね。樋口真嗣さんが『ガメラ』で特撮界の中心になってくるのはもう少し後になりますもんね。
庵野 もうちょい後ですね。『ゴジラ』のシリーズは「84」でまた復活してやってましたけど。
―― でもやっぱり世代的には、まだ前の世代の方が頑張っていたという感じですよね。
庵野 はい。まあ、『ゴジラVSビオランテ』からですよね。川北(紘一)さんが始めてから変わってきた感じがありますね。大森(一樹)さんと。あそこで世代が一つ変わった感じがします。
―― ウルトラマンも『ティガ』以降、僕ら若手のスタッフが参加して変わってきた。同時期に『ガメラ』シリーズもあって。その辺からですよね。世代がガラッと変わっていくのは。
庵野 『ティガ』もそうですし、仮面ライダーも、『クウガ』でガラッと変わりましたからね。
―― そうですね。時代が変わってきますよね。
『エヴァンゲリオン』劇場版での実写パート
―― 庵野さんはその後『トップをねらえ!』で監督デビューして、テレビアニメ『エヴァンゲリオン』の大ヒットの後は実写映画も手掛けられます。でもエヴァの劇場版(『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』)でも既に実写パートがありましたね。映画館の観客席を撮った映像が実写で出てきて。ある種、見ているお客さんの内面にも入ってくるみたいな。
庵野 そうですね。メタにまで行っちゃいましたね、行き着くと。あれはテレビ放送が終わった後にえらい目に遭ったので。お客さんというのも映像の中の一部にならないかなと。