自主映画と商業作品の違い

―― 庵野さんの場合、8ミリの自主映画時代からSF大会に向けて発注があって、締め切りもあって、大人数のスタッフを仕切ってとか、プロに近い体制が多かったですよね。プロになってからは、大きな会社に雇われて監督するのではなく、自分たちが立ち上げた会社の中でやったり、今はご自分の会社でやったりしています。そういう意味では、自主映画時代と、商業作品を作っている今と、何か違いを感じることはありますか?

庵野 自分の中ではお金の流れの違いぐらいですかね。やってることはそんなに変わらないと思います。あと、責任の所在の違いですかね。自主アニメの時は、制作費を回収して、みたいな考えではなく、これだけのスタッフが関わって作っているので、みんながとにかく「やってよかった。面白かった」という、そういうものを残さないといけなかったので、そっちのほうの責任というのがありました。商業作品のほうはやっぱり、かかったお金の分は回収できるようなことをしなきゃいけないと思っています。だから、自分の作りたいものを作るというのは実はないんですよね。あまりその意識がなくて。

©藍川兼一

―― 商業映画でも回収する責任を持っているという意味では、自主映画と近いところがあるのかなと思います。雇われ監督だと、内容と興行は別みたいに思えるんだけど、全部ひっくるめて責任を持つという意味では自主映画に近いのかなと。

ADVERTISEMENT

庵野 そうですね。お金を出してもらっている以上、そのお金は返さないとというのが、ごく普通の感覚としてあるだけなんですけど。そうしないと次がないんじゃないかというのもありますよね、商業作品は。

―― 今後、実験的な実写もやるみたいな計画はあるんですか?

庵野 いや、ないですね。商業作品である以上、実験みたいなものはあんまりないです。自分の中の実験は『式日』だけですね。

―― いろいろお話を伺って、庵野さんが自主映画に取り組む姿勢は僕とはだいぶ違ったと分かりました。僕はある種、映画ごっこの延長で8ミリを撮っていたので。『Single8』のコメントをいただこうと庵野さんに映像を送ったら、「自分とあまりにも違うので途中でやめました」と言われましたが、その意味がすごくよく分かりました。

庵野 ああいうのは楽しかったろうなと思いますけど。

―― そうですね。

庵野 自分の自主制作って全然楽しさはなかったので。撮ってる最中はしんどいだけですね。

―― そういう中で作って上映した時に、「ああ、できたぞ」みたいな喜びは?

庵野 「できたぞ」というのは、やっぱり学生ぐらいまでですね。DAICON Ⅲの時はまだ「できたぞ」という楽しみがありましたけど、だんだん薄くなってきますね。今はもう、できあがるのは当然というか、それが当たり前なので。責任を果たしたというところしかないですね。

―― そうですか。

庵野 あまりもう、そういう感動がなく、残念だなと思いますね。

※庵野氏には『ラブ&ポップ』『式日』についても語っていただきましたが、字数の問題で今回は掲載できません。完全版は今後予定されている書籍版でお楽しみください。

1)DAICON FILM DAICON Ⅲオープニングアニメを作るために集まったスタッフを中心にDAICON Ⅳに向けて映像制作を続けるために結成したグループ。
2)『書を捨てよ町へ出よう』(1971・監督:寺山修司)
3)『田園に死す』(1974・監督:寺山修司)の一場面。