平野 あるとき腫瘍がなくなっていました。それが、父が亡くなった年だから、2014年です。
学生時代は「ずっと頭痛との戦いでした」
――ずいぶん先ですね。
平野 学生時代はずっと頭痛との戦いでした。普通の片頭痛と違って、急に目が見えなくなっちゃうんですよ。朝起きてハッと目を開けると真っ暗、という状態です。
その期間は長かったですね。薬を飲めば痛みは治まるんですけど、それがまたすごく強い薬で、いったん痛みが増してから治る、みたいな感じでした。そういうときは家から出られなくなっちゃうし、学校に行ってもずっと保健室。小さい頃から体が弱くて体調が良くないことには慣れていましたが、1年のほとんどが病気に罹っているようなものでした。
――それは『ハルヒ』でブレイクした頃も?
平野 そうですね。すぐ不整脈になっちゃうから心電図の機械をつけたり、婦人科系の疾患もあったので、薬は手放せませんでした。
――それだけ健康に不安があるなかで、多忙なスケジュールをこなすのはたいへんだったと思います。
平野 私が所属していたのは声優事務所ではなかったので、メディアの仕事が一気に増えたんです。とくにテレビの仕事は、どうしても拘束時間が長いですから。お仕事をいただけるのは本当にありがたいので、それに応えたくてがんばっていたんですけど、栄養失調と腎臓を壊すのが重なって、倒れてしまいました。
――ご両親には相談をしなかったんですか?
平野 大学に入ってから独り暮らしをはじめていたので、両親とは離れて暮らしていました。もともと「一生の仕事にする」と約束していたのに、親からは「そんなに体がたいへんな状態なら、やめてもいいんだよ」と言われるようになり、それ以上、心配をかけたくないという気持ちがあったんです。両親は「学業優先」と言っていたのに、せっかく入った大学も仕事が忙しくなって2週間でやめてしまい……。
――学生時代から急に忙しくなり、ずいぶん早く“大人”になったように見えますが、ご自身のなかで「反抗期」ってありましたか?
平野 うーん、……どうでしょう? 世間の人からは「つねに何かに反抗している人」と見られているな、とは思うんですけど(笑)。あまりベースのテンションは変わることがなく、一定だったと思います。
――声優としての活動を続けていくうちに環境が変わり、平野さんのやりたいことと事務所の方針にギャップや変化を感じることはありませんでしたか?
平野 事務所としては、私をタレントとして売り出していきたい意向があったようです。ただ、私の核の部分には、絶対に「役者をやりたい」という気持ちがありました。