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平野 ミュージカルをやるにあたって、レッスンを受けるために児童劇団に入ったんですが、両親ともにテレビ業界に勤めていたので、けっして簡単な世界ではないのを理解していました。性格的に無理なんじゃないかとも思っていたようですね。

10歳で始まった子役生活「『アニー』に出たかったんです」

――児童劇団は、「塾に行く」とか「習いごとをする」のとは感覚的に違いますよね?

平野 そうですね。演技や歌、ダンスなどのレッスンを受けながら、テレビや舞台のオーディションを受けて、お仕事をいただきます。

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――いわゆる「子役」になるわけですね。

平野 入団前からダンスや歌はすでに習っていて、ミュージカル自体はそれ以前にアマチュアでも経験があって、両親も前向きに検討してくれたんですけど、「いまこの仕事を始めるんだったら、一生の仕事にしなさい」と言われました。「簡単な気持ちで、いまから始めちゃダメ」と。

――それが何歳のときですか?

平野 10歳です。

――10歳で「仕事に就く」決断をしたんですか?

平野 「一生の仕事にする」と約束したので、劇団に入ることを許してもらいました。その劇団は家から近かったですし、『アニー』の歌唱指導の先生がいる、との触れ込みだったのも大きかったですね、『アニー』に出たかったんです。

 

――やっぱり『アニー』は憧れますよね。

平野 そうなんですよ! でも、劇団に入ったのが10歳だったので、遅かったんです。

――10歳で「遅い」と言われる世界なんですね。

平野 遅かったです。子役は大体1ケタ台からレッスンをしています。それに、私は背が伸びるのが早くて、小学6年生のときには、もういまの身長(157cm)があったんです。「子役にしては大きい」という理由でオーディションはダメでした。

自分に自信がない。けど、役になってセリフを言うときだけは「自分じゃない何か」になれる

――年齢や身長が理由で“間に合わなかった”という経験は、心理的に引きずりました?

平野 いまでもあります。当時は「大きくてダメ」と言われ、いまは「小さくてダメ」と言われることがあるんです。それから当時は顔と声にギャップがあって、なかなか年相応の役に恵まれませんでした。本当に子役時代は、パッとしませんでしたよ。

 

――当時は、役者のどこに魅力を感じたのでしょう?

平野 小さい頃の私は、おとなしくて、どうやって自分を出せばいいのかわからなかったんです。自分の意見が言えないから、すごく窮屈でした。自分に自信がない。だけど、役になってセリフを言うときだけは、「別の人の人生」を生きることができる。私は、自分じゃない何かに、なりたかったんです。