放送中の人気アニメ『薬屋のひとりごと』。第2期第35話『狩り』から第36話『華瑞月』にいたる2話は、第2期の前半クールの最終話であると同時に『薬屋のひとりごと』という作品の大きなターニングポイントになる秘密が明かされた。
※ここから先、作品のネタバレを含むため、未見の方はご注意ください
このシークエンスを楽しみに待っていた原作ファンも多かったことだろう。この記事が掲載されるころには放送が終わっていると思うのでネタバレを許していただきたいのだが、この洞窟のシークエンスで、これまで宦官(編注:後宮に仕える去勢された男性)であると自称していた壬氏が実は宦官ではなかったことが明らかになる。
筆者が今回この記事を書きたいと思ったのは、この場面、原作小説やアニメでも重要な場面であることはもちろんながら、2つのコミカライズ版では同じエピソードをそれぞれの作家が別の演出で描く表現の違いが実に興味深いからだ。
なぜ、同じ作品のコミカライズが2つもあるのか
「『薬屋のひとりごと』のコミカライズ版は、同じストーリーで別の漫画家が二種類のコミックを描いています」
書店コミックコーナーで、こうした注意書きを目にした人も多いのではないだろうか。
スクウェア・エニックス社ビッグガンガンコミックス『薬屋のひとりごと』は構成・七緒一綺、作画・ねこクラゲ。
小学館サンデーGXコミックス『薬屋のひとりごと~猫猫の後宮謎解き手帳~』は倉田三ノ路。
「原作・日向夏、キャラクター原案・しのとうこ」のクレジットは両社共通である。
なぜ同時期に2種類のコミカライズが別の大手出版社からほぼ同時に刊行されることになったのか、については、両作品の連載が3か月ちがいでスタートした2017年から、ネットを中心にさんざん推測や考察が重ねられてきた。現在も各出版社から明確な経緯の声明は出ておらず、「契約上両社ともに出版権がある状態になったのでこうなったのだろう」ということしかわからない。
その裏事情を推測したり、その是非を論じたり、これもネットで多くされているようにどっちのコミカライズ版が優れていておすすめか、というようなことを書くのがこの記事の趣旨ではない。筆者がここで訴えたいのは、この2作を同時に読み比べると非常に面白いということなのである。
考えてみてほしい。人気作品のスピンオフ、外伝、が別の作家によって描かれることはよくある。リメイクという形で時代を隔てて、別の作家が別の視点からアナザーバージョンを描くことも、まあなくはない。しかし、これほどの人気小説のコミカライズ版が、どちらも実力あるプロの漫画家によって、まったく同じストーリーで2つの漫画として同時連載されるというのは、日本の長いマンガの歴史、いや世界的に見てもきわめて珍しい、貴重な事例なのである。
このマンガが面白い、と人が感じる時、ストーリーが面白いのか、キャラクターが好きなのか、それを描く絵が綺麗だから好きなのか、読者は普通、いちいち腑分けして考えない。もちろん批評は個別の表現を論じるものではあるが、同じストーリー、同じキャラクターでプロの2作品が並んだ時、「表現や演出とは何か」という差異は一目瞭然に浮かび上がる。いわば同じ脚本を同じ俳優が演じることによって、漫画家の「演出家・監督」としてのスタイルを見せてくれるのだ。

