瞳の色も…2つの作品で違う猫猫の表情

 ふたつのバージョンの『薬屋のひとりごと』コミカライズは、前述の通りストーリーはほぼ同じである。登場する人物のキャラクターデザインもクレジットにあるとおり、原作小説の挿画をつとめた「キャラクター原案・しのとうこ」によるデザインだ。いわば同じ脚本を同じ俳優が演じていると言ってもいい。にもかかわらず、二つのコミカライズはそれぞれにちがうテイストがある。それはマンガという表現形式の武器、「構成と演出」のスタイルがそれぞれ違うからである。

 第1巻の冒頭シーンからすでに2つの作品はちがうスタートを切る。小説版と同じ「露店の串焼きが食べたいなあ」と後宮の空を見上げる猫猫からはじまり回想へとつながる七緒・ねこクラゲ版に対して、倉田版は猫猫が後宮に売られるきっかけになる誘拐から時系列を追って描写する。(この冒頭の構成の違いは、3か月違いで連載をスタートすることになった倉田版が、2つの版を混同する読者が出ないようにあえて変えた面もあるかもしれないと思う)。

『薬屋のひとりごと』作画・倉田三ノ路版(小学館)

 2つのコミカライズ作品のちがいは冒頭だけではない。猫猫の描き方ひとつとっても、どちらも小説版の挿画・しのとうこのキャラクター原案の髪型や服装を忠実に守りながら、その印象や表情がちがうのだ。七緒・ねこクラゲ版の猫猫の方が少しやんちゃで活動的、倉田版の猫猫の方が大人びて思慮深く見える。まるで同じモデルを二人のカメラマンが撮影すると、別の表情や瞬間をカメラがとらえるようだ。

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 注意して見比べるとわかるが、七緒・ねこクラゲ版の猫猫は瞳の色が明るい。対して倉田版の猫猫の瞳は黒いベタの部分が多い。ちょうど猫の瞳が明るい場所と暗い場所で大きさが変わるように、同じ主人公が2つの表情を見せる。

 猫猫の描写だけではなく、作品全体の作画トーンを見比べてみても、七緒・ねこクラゲ版は白と黒の間にスクリーントーンの中間色を交えたポップな画面になっているのに比べ、倉田版の作画は白と黒の鮮明なコントラストを使った、シックで美しい映像を基調にしている。これは映画で言えば照明や撮影による映像の違いであり、北野武映画の映像表現が「キタノ・ブルー」と呼ばれるように、漫画家の絵柄がもつそれぞれの個性である。

 2つのコミカライズを読み比べることが貴重だ、と筆者が感じるのは、こうした作画のトーンが輝くシークエンスがそれぞれ違うからだ。七緒・ねこクラゲ版のポップで可愛らしい絵は、作品の人気のひとつである壬氏と猫猫のラブコメディ的な部分で大いに生きる。いっぽう、倉田三ノ路の墨絵のような美しい作画は、物語のクライマックス、シリアスなシークエンスで劇的な演出効果を生み出すのに威力を発揮する。

 ラブコメ的な喜劇と、生死を分けるような悲劇。『薬屋のひとりごと』の魅力はその喜劇と悲劇をひとつの物語で両立させているところにある。壬氏と猫猫のシークエンスは、イケメン上司と優秀だが不愛想な派遣女子社員の物語として、そのまま現代コメディになりそうなほどポップだ。その一方で、封建制と後宮という時代のシステムに縛られ、時には死と引き換えに魂の尊厳と自由を証明しようとする登場人物たち(その多くが女性だ)の壮絶な悲劇は、息をのむほどの切実さで読者を揺さぶる。

 七緒一綺・ねこクラゲ版と倉田三ノ路版という2つのコミカライズは、版元がそれを意図したわけではないだろうが、物語の喜劇と悲劇の2つの側面をそれぞれ輝かせているように見える。

 この資質は、それぞれの作家の過去の作品を読むといっそう感じるところがある。ねこクラゲ『曹植系男子』は中華コメディの作品、倉田三ノ路『天穹は遥か -景月伝-』は同じく古代中国を舞台にした壮大なスケールの群像劇ドラマだ。

『曹植系男子』(スクウェア・エニックス)、『天穹は遥か -景月伝-』(小学館)

 それぞれの作品のあとがきで「三國志好きが幸いしてこのようなマンガを描かせて頂きました。昔からバカみたいに三國志の本を読み漁っててよかったです…!」(『曹植系男子』1巻 ねこクラゲ)「初めて武侠小説を読んだ時のドキドキワクワク感を自分なりに描いてみたくて作ったのが『天穹は遥か』だったりします」(『天穹は遥か -景月伝-』1巻 倉田三ノ路)と、中国時代劇への愛を吐露しているのも印象的で、だからこそ両者にそれぞれの出版社での『薬屋のひとりごと』のコミカライズという大役の白羽の矢が立ったところもあるのだろう。