「宦官ではない」秘密の発覚パートはなぜ重要なのか
さて、冒頭で挙げた36話に戻ろう。この場面は、『薬屋のひとりごと』という物語にとって大きな転換点である。それは封建制の権力構造の中で表面的には「男性であること」から降りて、美女と見まがう中性的な美貌の宦官として生きてきた壬氏が再び生き方を大きく変えていくきっかけでもあるのだ。
と同時に、壬氏と猫猫のラブストーリーにおいても大きな意味を持つ。多くの読者の間で壬氏と猫猫のラブストーリー発展の期待が高まる一方、第1期で二人が作った「宦官と毒見役」の関係性が好きだった、性を交えない二人のプラトニックな関係を愛するファンもまたいるであろうからだ。
美しい宦官と毒見役の少女は、どちらも封建社会の捨て石、アウトサイダーである。「小説家になろう」サイトに投稿された時から『薬屋のひとりごと』という小説が瞬く間に人気を博したのは、そうした普通ではない二人に、男性性や女性性、社会に対する居心地の悪さを投影する読者の心をとらえたからでもある。そうした関係の転換点を描く時、この作品が非凡なのは、「普通の男女のラブストーリー」に回帰する道からも微妙に軌道をずらすシーンを用意しているところである。
まず、洞窟の中で猫猫が壬氏の身体の秘密に気が付くシーンは、「よろけた拍子に男の子が女の子を押し倒してしまい、手をついたはずみに胸に触ってしまう」というラブコメ定番ハプニングの男女逆転パロディになっている(あんな風に胸に手をつかれたら痛いに決まってる、という恒例の批判の通り、壬氏もさぞ顔をしかめたことだろう)。「蛙です」「そこそこの大きさの」という性的なムードを吹き飛ばすような会話も、猫猫にとってそれはたいしたことではないのだ、という表現になっている。そして、そのあとの屋敷での会話もまた重要だ。
「(宦官であろうとなかろうと)私にとって壬氏さまは壬氏さまです」「お前にとって俺は俺か」という障子越しの背中合わせの会話のあと、さらに秘密を明かそうとする壬氏の言葉もきかずに、約束の漢方薬、牛黄に夢中になる猫猫。そしてモノローグの中で彼女はつぶやく。
いつか壬氏のその秘密がばれそうになって窮地に立たされた場合、助け出せるよう努力すべきだ。
(その時はちゃんと)
本物の宦官にしてあげよう。
(主婦の友社ヒーロー文庫『薬屋のひとりごと』3巻より)
日向夏という作家の非凡さを示す、作品の中でも白眉の独白、「ひとりごと」のシーンである。去勢、男性器を切除する、という男性にとっては震え上がるような行為を「助け出す」手段としてためらいなく思い浮かべ、「宦官ではない本物の男」という通念を裏返して「ちゃんと本物の宦官にしてあげよう」と心の中で誓う猫猫は、変わらずこの後宮のアウトサイダーでありつづけるのだと読者に鮮烈に焼き付ける名台詞と言っていい。
興味深いのは、このシーンの描き方が2種類のコミカライズでそれぞれちがうことである。
七緒一綺・ねこクラゲ版13巻ではこのセリフは、ページの4分の1ほどのふきだしで、なぜか悪寒を感じる壬氏の後ろ姿とともに描かれている。心の中の声がきこえたというより、もしも壬氏が聞いたら恐れをなすような大胆な台詞だろう、ということを表現した漫画表現で、ラブコメ表現に優れた七緒一綺・ねこクラゲ版らしいクスリと笑わせる演出だ。
一方で倉田三ノ路版の13巻では、ほぼ1ページ丸ごとに近い大きさで牛黄に見とれる猫猫の満面の笑みが描かれ、そこに「本物の宦官にしてあげよう」という心の声が重なる。その前のページでの四角い枠のモノローグ「その時はちゃんと───」を受けて、あえて四角の枠ではなく、深い情感を表すソフトフォーカスの吹き出しで大きく描くその手法は、あなたの命が危なくなった時は、あなたを男でなくしても助けてあげるからね、という猫猫の優しさと残酷さをよく表現している。「壬氏が性器を持つ男性だったからって猫猫はしおらしいヒロインにはならないし、これは普通のラブストーリーには落ち着かないんだよ」という原作のメッセージを読み取った見事な演出で、2作品いずれも見事なコミカライズと言えるだろう。

