平成元年に「平成名物TV」という深夜番組のバンドオーディションコーナーからスターになった「たま」。個性的なメンバーの中でも、坊主頭のランニング姿で「着いたーー!」と叫ぶ石川浩司さんが記憶に刷り込まれている人も多いはず。そんな石川浩司さんが今も活躍されていることをご存じだろうか。3回にわたるご本人へのインタビューをお届けします。(全3回の1回目/続きを読む)
ギターのFコードは押さえられないけど「表現したい!」
――「たま現象」と呼ばれた「いかすバンド天国」(以下「イカ天」)でのブレイクから何年ですか?
石川浩司(以下、石川) 1989年だから、もう36年経つね。いつの間にそんなに! 恐ろしいね~(笑)。
――石川さんは10代から音楽を始めたんですよね。
石川 取り立てて音楽知識もないし、音楽の成績が良かったわけじゃないんだけど「表現したい」っていう気持ちはあって、一番音楽が手っ取り早かった。お芝居とかだと人集めや準備も必要だけど、音楽は弾き語りとかだと、すぐできる。僕はいまだにギターのFコードは不器用で押さえられなくて、指2本3本で押さえられるコードだけでやってるよ。それでも表現できるからね。
だから、たまたま音楽で目が出ることがあったからそれをメインにしているけれど、もしかして文章を書く方が先に光が当てられていたら、そっちをメインにしていたかもしれないし。「表現をしたい」って気持ちがあったけど、それが何かはよくわかっていなかった。
――ミュージシャンじゃなく、執筆の道に進んでいた可能性もあったんですか。
出会ってしまった三上寛の「アングラ音楽」
石川 高校生くらいのときは、いわゆる「ハガキ職人」で、ラジオとか雑誌に投稿をよくしていて。もともとね中学生のとき、群馬の前橋っていうところに住んでたんだけど、市民の歌を募集しますっていうんで、応募したら中学生だったけど通っちゃって、大舞台でオペラ歌手によって僕の作詞した歌が歌われて。そのときは「あれ、オレって物書きの才能があるんじゃないか」って勘違いして。
で、高校のときに、それまで割とシャイだったんだけど、演劇部に入って人前に出るようになって。それで表現するってことを覚えた感じ。音楽なんて一番最後です。「不器用だから、自分でギター弾くなんてことできない」と思っていたら、三上寛さんというミュージシャンが3つくらいのコードだけで音楽活動していて、それでもすごいパワーを感じたから、「あっそれでもいいんだ」って気づいて。ソロのギターの弾き語りは表現としては手っ取り早いし「やってみるか」と取り組んで、上京したときにライブハウスのオーディションを受けたんです。
――じゃあ、石川さんの音楽の原点は三上寛さんなんですね。他にはどんな音楽を聴いていたんですか?
石川 音楽は、中高生時代に一番よく聴いてたんだけど、普通にビートルズから入って、洋楽はプログレ。普通のロックも聴いてたけど、技術的にすごい、自分には絶対できないような曲を聴くのが好きでしたね。邦楽はやっぱり三上寛さんみたいなアングラ系かな。そんななかで「自分にできることはなんだろうな」って考えていたな。