――それで知久(寿焼)さんがギターのままで。

石川 そう、それで誰かがメインで自作の歌を歌っているときは、ほかの2人がバックというか、茶々を入れる。1回こっきりのつもりだったんですけど、ウケが良かったんで、そのままバンド活動しちゃった。だからシンガーソングライターの互助会みたいな、3本の矢なら少し強くなる、みたいな感じで始めたのがきっかけなんです。一番最初はベースの滝本晃司はまだいなくてね。

「たま」の大ヒット曲『さよなら人類』が出来上がるまで

――その時点では知名度の高い楽曲『さよなら人類』は出来上がってなかった?

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石川 その辺はですね、こういう本があって。ここに『さよなら人類』誕生秘話というのが出てます。

『さよなら人類』誕生秘話が読める『「たま」という船に乗っていた さよなら人類編』 ©︎文藝春秋

――この漫画、原作が石川さんなんですね。内容は事実そのものなんですか? 話を盛ってたりはしていない?

石川 ギャグみたいなのはあるけど、話は盛ってないです。僕たち、リハーサルの最後に「セッションタイム!」って即興を毎回30分くらいやって、それをカセットテープに録音しておいて、即興のいい部分があったら、次の回に曲としてまとめて持ってくる、っていう作業をしていたんですね。その中で『さよなら人類』ができたんです。

 このページにある通り、大谷氏(現存する石川さんの2人ユニット「ホルモン鉄道」の相方)という男にも感化されていて。……彼が『ムーンライト・アポロ・ララバイ』っていう宇宙の歌を作って歌っていたんで「宇宙の歌って、面白いじゃない」って柳原が反応して。だからね、僕の周りでは、みんな繋がってるんです、こういう人物たちと出来事が。

今年1月に「しりあがり寿presents 新春!(有)さるハゲロック」に出演したホルモン鉄道(左が石川さん、右が大谷氏)撮影:市川はるひ

――この漫画には細部のエピソードまで綴られてますね。この『「たま」という船に乗っていた』は漫画化される前に、原作本も出ていますよね。

石川 「たま」が解散するときに僕が本を出したんです。そうしたら、20年くらい経って急にそれを漫画化したいって人が現れて、それで漫画版も出ました。

「着いたーー!」はライブ経験10年のたまもの

――『さよなら人類』の石川さんといえば「着いたーー!」というシャウトですが。

石川 あれが適当に入れた茶々。曲を作った柳原からリクエストがあったわけではなく、自発的に入れたら「それ面白いんじゃない」ってなって。

――そうやって全員で練って曲が出来上がるんですね。『さよなら人類』もですが、「イカ天」で見ていた「たま」というバンドのパフォーマンスは、迷いがなくて、大胆で、妖しくて「ガッツリ出来上がってる」という印象でした。

石川 「イカ天」に出た時点でバンドも5年やっていたし、その前にもみんなそれぞれライブハウスで5年くらいソロ活動をやっていて、ライブハウス歴はもう10年くらいになっていたから。テレビに出るのは初めてだったけど、演奏することへの緊張とかは、なかったです。

――なるほど。3人とも高校出てすぐ10代から演奏していたから、あの時点ですでに経験10年だったわけですね。

石川 一番若い知久くんは、もっと若い16歳からライブハウスに出てました。