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野球も競馬も育成が大事…ロッテ・吉井理人監督と愛馬の心あたたまる物語

文春野球コラム ペナントレース2023

2023/06/20
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 どこの球団も一進一退の大混戦だった交流戦で、特に今年は日々のリーグ順位が気になってしかたがない日々が続きました。我らがロッテの場合は、2006年以来となる17年ぶりの交流戦優勝を……なんて欲張りなことは言わず、何とか「そのままっ!」とリーグ首位を守り抜いてくれればというのが本音だったのではないでしょうか? パ・リーグの首位戦線に踏みとどまることはできたので、プレーオフを勝ち抜いた2005年以来のリーグ優勝へ、寝ても覚めてもソワソワしているのは私だけではないはずです。

 ちなみに交流戦開幕は5月30日でしたが、その2日前は競馬の日本ダービーが東京競馬場でありました。スポーツ紙の競馬記者を生業(なりわい)とする私にとっては、ある意味では日本シリーズの優勝決定戦のようなビッグイベントであります。私の本命馬のソールオリエンスは惜しくも2着でしたが、ようやく新型コロナウイルス対策の人数制限が緩和されて、7万人を超える大観衆の盛り上がりは胸が熱くなりましたね。

 そして実はその翌日、馬主でもあるロッテの吉井理人監督の愛馬が勝利を挙げたことを今回はご紹介したいと思います。野球のコラムなのに、“ド直球”な競馬ネタか!? とツッコミが入るのは覚悟の上ですが、困難があっても諦めず、可能性を見極めて育てていく吉井監督の育成哲学が愛馬にも貫かれていると思わせてくれるエピソードなので、どうかお付き合いください。

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吉井理人監督 ©時事通信社

吉井監督の10年にもわたる愛馬とのドラマ

 まず見事に勝利を挙げたのは、「リジン」という名前の競走馬です。おなじみの「吉井理人オフィシャルブログ」の2022年1月3日の更新記事には、「名前は、リジン、アミノ酸からつけました。(理人からとったと言う噂もあるが)」と紹介されています。ちなみに吉井監督のブログは、野球の話題の後に競馬のネタをさりげなく織り込んでくれているので、私のような野球兼競馬ファンには大変楽しく、心が温まる内容となっております(笑)。土日に開催しているJRAの中央競馬ではなく、現在は埼玉県にある地方競馬の浦和競馬場に所属しています。その競馬場はJRの南浦和駅が最寄り駅で、電車でひと駅乗ったご近所の武蔵浦和駅から徒歩圏内にロッテの2軍本拠地であるロッテ浦和球場があるのは皆さんご存じの通りであります。

 さて、そのリジンが出走した5月29日の浦和競馬第5レースでは、見事に1番人気に応えて吉井監督の愛馬は無傷の4連勝を飾りました。私も現地で応援馬券を手に握りしめて見届けまして、その後にリジンの所属する水野貴史厩舎で馬の世話を担当している横山孝清厩務員に聞くと、「これから無事にいってもらって、オーナーに重賞の肩掛け(優勝レイ)を取らせたい。その手応えはありますね」と、大レースを勝てるくらいの素質を評価していたのはうれしいコメント。実はこの方、タービランスやティーズダンクといった地方の重賞レースを何勝もした馬も担当した経験を持つ“腕利き”の厩務員さんで、その言葉にはなかなか説得力があります。そして興味深く取材を進めていくと、このリジンが誕生するまでには、吉井監督の10年にもわたる愛馬とのドラマがあったのです。

 そもそも吉井監督が馬主になったのは、2013年のこと。同年11月25日のブログは、「馬主になりました」というタイトルで競馬の話題とともに報告していますが、その最初に所有した愛馬の名前は「フォーシーム」という女の子の馬(牝馬)でした。馬名の由来に「オーナーの現役時代の決め球より(野球用語)」とあるのには、それだけでグッときますね。フォーシームのお兄さんには、2006年の日本ダービーなどG1レースを4勝もした名馬メイショウサムソンがいて、魅力的な血統を持つと言っていい馬でした。

 しかし産まれた時に4本の脚のバランスが悪かったので、競走馬としての活躍は難しいと見られていたそうです。その牧場の方々もどうしようか悩んでいたところ、たまたま競馬関係者を通じて吉井さん(ここからは吉井監督ではなく、吉井さんとお呼びするのがふさわしいかもしれませんね)が知るところとなり、ゆくゆくはお母さん(サラブレッドを産む繁殖牝馬)になってほしいという願いも込めて馬主になったということです。

 現実問題として競走馬になれず「処分」されてしまう場合もあったなかで、吉井さんは「彼女の可能性」にかけました。それにまだフォーシームがお母さんのお腹のなかにいた時、母馬がお腹の痛みをともなう病気にかかって手術を受けていたそうです。流産のリスクもあるなか、母体を救うためにやむを得ませんでしたが、それを乗り越えて産まれてきたサラブレッドだったことも吉井さんの背中を押しました。「『生きたい』という生命力、エネルギーが何かあるのではないかと感じられたのかもしれません。これだけ苦労してきた子だからと、『何かもってるやろ!』と名乗りを上げてくれたんです」とは、その当時を知る競馬関係者の話です。

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