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〈MMTを否定する日本の経済学者は時代遅れ?〉積極財政論がカルトではない理由

source : 文藝春秋 電子版オリジナル

genre : ニュース, 経済, ウェビナー, マネー

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「過去最大の政府債務」を怖がる人が多いワケ

中野 今となっては財政再建派ですらも「債務を返済できなくなる(デフォルト)」という意味において財政破綻を語る人がほとんどいなくなりました。「そこは認めざるを得ない」という段階にやっと来たのかなと思います。ちなみに、2021年の「文藝春秋」に掲載された「矢野論文」ではデフォルトによる財政破綻について立場が表明されていませんでした。

「自国通貨建ての国債はデフォルトしない」という主張にはコンセンサスがあると言えます。ここから議論をスタートすれば少しは建設的になるだろうと思います。しかし、積極財政を批判する財政健全化論者たちは「デフォルトしない」と認めざるを得ないがゆえに、財政再建の必要性を主張するために色んな論拠をぶちこんでくるから、議論がしっちゃかめっちゃかになってまとまりません。

 財政に関する現在の議論をご存じない方もおられるかもしれないので、緊縮財政論や財政健全化論に含まれている誤解を先に説明しておきましょう。

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 まず、過去最大の政府債務について。例えば「矢野論文」では今の日本の状況を「タイタニック号が氷山に向かって突進しているようなもの」だと書いていましたが、これは明らかな誤解です。

森永 「政府の債務が積み上がるとまずい」と言われると多くの人が納得してしまう理由は、たぶん経済主体の違いを理解していない。国の財政を、企業や個人と同一視しているのではないでしょうか。

 企業や個人の目線で物事を考えるのは普通だと思うんですよね。普通、国の目線は持たないでしょう。無意識のうちに備わっている個人や企業の目線からでは借金が悪に見える。返さないなんてあり得ない。だから、膨れ上がる国の借金がとても怖いように思えるのでしょう。

「今返さないと孫や子どもが大変だから、苦しいけれども税金が増えてもしょうがないよね」という主張は、経済主体の違いをわかっていない人には正しいように聞こえちゃうんです。

「お金の発行」が税収に先立つ

森永 「国の施策には財源として税収が必須」という主張もよくある誤解です。これについては、どのような説明をすればわかりやすいのかズッと考えてきました。最近では「国の最初」を使ったストーリーで説明しています。

MMTの議論が理解されにくい理由を語る森永氏

 まず、あなたが王様として国を作ったと考えてください。そして、その国には既に数人の国民がいます。作られた直後の国ですから橋などのインフラがありません。作る必要があります。インフラを国民に作ってもらうには、先にお金を渡して「これで作って」みたいな流れになるでしょう。

 しかし、「橋を作るから税収が必要です」と言っても、作られた直後の国ですからお金が出回ってない。税収は存在しません。そこで財源を得るためにお金を発行することになる。このように「国の最初」について考えれば、「税収が無いから何もできない」という理屈のおかしさがわかります。

中野 森永さんの「国の最初」のストーリーでは、税収の前に国がお金を発行する必要性が説明されています。

「財源として税金を取らなくちゃいけない」と主張する人に「税金として何を徴収しているんですか」と訊ねれば「お金です」と答えるはずです。このお金は政府が発行しているわけですよね。ということは、まず政府がお金を発行していないと税を徴収できません。

 しかし、「財源に税収は必須ではない。お金を発行すればいい」と説明すると、税金が不要と主張しているように思われがちです。

森永 「税金なんかいらない」という主張はMMTにありません。MMTの主張の根本には税を納めるためにお金に価値が生じている「租税貨幣論」があります。

中野 立派な大学の教授とか、政府に影響を与えている学者とか、権威を持っている人が「税金いらなくなるから、おかしいじゃないか」とMMTを批判するんですよね。専門家ではない一般の人が言うのならまだわかりますが、学者の素養として批判対象を理解しないまま批判するのは、いかがなものでしょう。

中野剛志さんと森永康平さんによるオンライン番組のテキスト版全文は、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。

〈MMTを否定する日本の経済学者は時代遅れ?〉積極財政論がカルトではない理由

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