文春オンライン

日本が“同調しなければ生きていけない社会”になっている問題について

2023/06/13
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 先日のゴールデンウィーク。メディアでは空港や駅での大混雑、高速道路での大渋滞をまるで毎年のイベントでもあるかのように伝える。今年はとりわけコロナ禍での自粛が緩んだことも報道を元気づけた。でも考えてもみれば以前に比べて休暇も取りやすくなり、休暇のスタイルも多様化しているのになぜみんな嬉々として一番混む時期に、電車や飛行機に乗りたがり、渋滞と分かっている高速道路に無謀にも車をつっこませるのだろうか。

 マイクを向けられて「いやー、すごいですね。もう疲れちゃいました」などと笑顔で答えるさまは風物詩といえばそれまでだが、これはもうわざわざこの大変な事態をみんなで楽しんでいるとしか言いようのない光景にも見える。

同調をこよなく愛する日本人

 国民全員が固唾をのんだとされるWBC(ワールドベースボールクラシック)。大谷選手の活躍は野球をよく観る私から見てもすばらしいプレーだった。だが、一度大谷選手が素晴らしいとなると、日本人として全員が彼を讃えあい、その後の一挙手一投足や個人としての性格や態度にももろ手を挙げて賛辞を送る姿はやや異様にも映る。実は賛辞を送る多くの人が野球のルールすらよく知らないのにだ。別にそれを批判する必要はないが、これもみんなの話題についていきたい、みんなと一緒に喜ぶことが是という、同調することをこよなく愛する日本人の特徴がよく出ているように思われる。

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 サッカーワールドカップで日本人観客がごみを拾い集めていたという報道が出た瞬間に、日本人であればごみをすべて掃除して帰ることにこの上ない喜びを感じるようになる。これもその行為はもちろん賞賛されるものではあるが、日本人全員がこのような美しい公共心があるわけでもあるまい。

 若い人を中心に倍速でドラマや映画を観るのも巷でいわれているようなコスパあるいはタイパのせいともいえるが、やはりみんなの話題についていくことの安心感を求めているようにも見える。