家庭のイメージと言えば、食卓を囲む一家団欒の図だが、これもなにかおかしい。
実は、日本で食卓を囲んで一家団欒をしていたのは、1955年から1975年の20年間くらいのことだそうだ。特に70年代は9割もの家庭が食卓を囲んでいた(※6)。
70年代とは結婚率や登校率など、様々なものがピークを迎えた特殊な時代だったのだ。
上から押しつけられた「一家団欒」
自分の家庭では、夕食はテレビを見ながらとっていたので、何か話をしていた記憶はない。けんかをしている時は、早く食べ終わって自分の部屋に行きたいとしか思わなかった。そんな食卓だったので、一家団欒からはほど遠かった。
しかも少し話はずれるが、小学校高学年から中学の頃は、父親が不潔に思えてしかたがなかった。食卓では隣に父親が座っているので、食事をしながら掘りごたつのなかで父親と足が触れ合わないようにいつも気をつけていた。
触れてしまうと嫌な気持ちになるので、食べ終わった後で形だけでも足を何かで拭いたりした。
別に不潔恐怖症だったわけではない。父親を不潔に感じるのは、このくらいの年齢ではよくあることと言われる。父親の下着を一緒に洗濯してほしくない娘の話をよく聞く。
もちろん親は何も悪くない。親子であっても、生理的な嫌悪感を持つこともあるのだ。
では家庭の団欒のああしたイメージは、いつから世に溢れかえったのだろう。
実は一家団欒もまた、古くからあったものではない。これも明治時代になって教科書や雑誌に載りだしたもので、もともと欧米の影響で上から押しつけられたと言っていい。
明治以降も戦前まで、家族でそろって食事をする機会は多くなかった。しかも黙って食べるのがマナーとされていたので、今我々が想像する団欒からはほど遠かったようだ。戦前まではずっとそんな調子だったそうだ。
「過剰な善意」がもたらす生きづらさ
愛に溢れた家庭のイメージは、もともと「これからはこうしましょう」「これが理想ですよ」と、啓蒙のために上から押しつけられたものだったと言える。