映画コメンテーター、タレントとして活躍するLiLiCoさん(52)。明るくてパワフルなキャラクターで、お茶の間の人気者だ。しかし子ども時代は、母親との関係に悩み、今では考えられないほどネガティブな性格だったという。いったい彼女は、どのような幼少期を過ごしていたのだろうか。詳しく話を聞いた。(全3回の1回目/2回目に続く)

映画コメンテーター、タレントとして活躍するLiLiCoさん ©三宅史郎/文藝春秋 

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病弱な弟の面倒を見ていた幼少期

――LiLiCoさんは、どんな子ども時代を過ごされたんでしょう。

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LiLiCoさん(以下、LiLiCo) 生まれはスウェーデンで、18歳で日本に来るまではずっとスウェーデンで育ちました。母が日本人で父がスウェーデン人なんです。

 私が9歳のときに弟が生まれるまでは、わりと普通の生活を送っていたと思います。

――弟さんが生まれてから、何が変わりましたか。

LiLiCo 弟が病気で、3歳までしか生きられないと言われていたんですね。すごく病弱で、よく発作を起こして救急車で病院に運ばれたり、喘息やアレルギーもひどかったので料理にも気を付けなくてはいけなかったり。

 いつも私が病院や保育園に迎えに行って、アレルギーが起きないように、肉を丸めて茹でたものとお米を食べさせて。とにかく弟の病気がひどくなったり発作が起きないように、ずっと面倒を見てました。

ロングインタビューに応じてくれたLiLiCoさん ©三宅史郎/文藝春秋

――それは、LiLiCoさんも学校に行きながら?

LiLiCo そうですね。青春の思い出は全部弟とともに、という感じで。弟との写真を見返すと、全部私が彼をおんぶしている写真なんですよ。とにかく、弟が死なないようにするのが私の使命でした。

 毎日体調が悪くなって、発作を起こすからいつも気を張っていて。一度、マジで危なかったことがあったんですよ。弟が泡を吹いて紫色の顔になって倒れて、呼吸が止まってしまって。

 そのときは、救急車が到着する前に私が人工呼吸をして息を吹き返したんですけど、今でも救急車の音を聞くと当時を思い出すくらいトラウマです。電車の中で子どもが「ギャア」と泣いていると、「病気じゃないかな、大丈夫かな」と心配になってつい見ちゃったり。

――今でも影響があるんですね。