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LiLiCo いつもすごく気が立って神経質になっている感じで、私にすべてぶつけようとしていました。「産んだ覚えがない」「こんなバカな子、私の子どもじゃない」という言葉を毎日浴びせられて。

 私は日本語がわからなかったから、日本語を見ながらお母さんに「これはなんて読むんですか」と聞いたりすると「ほんとバカだな」と言われてしまうし……。

©三宅史郎/文藝春秋

――子どもながらに、お母様に歩み寄ろうとしたんですね。

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LiLiCo お母さんが元気ならそれでいいと言いますか、ずっとお母さんのご機嫌を取るために生きていた感じです。

 お父さんに会おうとするとお母さんがキレるから、お父さんにも会わないことにして。だから35歳になるまで、お父さんとはほぼ接触しなかったんです、私。誕生日には電話をくれていたけれど、本当にそれくらい。

――お母様は、弟さんが生まれる以前とはまったく変わってしまったのでしょうか。

LiLiCo そうですね、それまでの記憶はあんまりないくらいで、すごく神経質になってからの記憶のほうが強いです。

 お母さんは結婚する前、もう60年も前のことですけど、スウェーデンで機械設計士として働いていたんですよ。でもバリバリ仕事ができても外国人であるために給料が低くて、それがすごくストレスだったんだろうと思います。

©三宅史郎/文藝春秋

「上を向いて歩こう」の歌詞を聴き、母の心情を推測

――そのストレスが、弟さんのご病気をきっかけにピークに達してしまったと。

LiLiCo 彼女は69歳のときに病気で亡くなったんですね、それも「丹毒(たんどく)」という皮膚の病気で、突然。本来は皮膚の病気だけど、お母さんの場合はそれが血管にまで広がってしまって死に至ったのだと医者から言われました。それはすごくめずらしいことだから、解剖したいということだったんですよ。

 お母さんはちゃんと遺言も残していて、「葬式は自分の親友と家族だけで」と。で、お母さんがずっと「上を向いて歩こう」を聴きたいと言っていたので、なかなかCDが手に入らなかったんですけど必死に探して、なんとかお葬式で流すことができたんですね。

 それで私、初めてそのときに「上を向いて歩こう」の歌詞をちゃんと聴いて「ああ、こういうことか」と思ったんです。

――どういうことでしょうか?