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LiLiCo 今も変わらずに焦ってしまったり、ネガティブ思考で心配性だったりするのは、弟のことがあったからだと思いますね。アレルギーと喘息って、スウェーデンだと「見えない障害」なんですよ。だから「私はこういう病気です」というヘルプマーク的なものを下げていたりするんです。

 私自身もリンゴとか、アレルギーがすごくあったのでそうしていましたけど、弟ほどではないから全然マシで。弟は卵とか、牛乳とか、小麦粉とか、チーズとか。大人になれば「チーズは牛乳でできている」とわかりますけど、3歳とか4歳くらいの小さい子ってわからないじゃないですか。そうするとみんなが「あら、可愛いわね」と言ってクッキーを口の中に入れようとしたりすることもあって。

©三宅史郎/文藝春秋

――危ないですね。

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LiLiCo そう。だからその度に慌てて止めに入って。そういう思い出はたくさんあります。3歳までしか生きられないと言われていた弟は、幸い無事に大人になることができたんですね。今は2人の子どもがいるんですけど、彼がパパになったときはもう、人生で一番幸せな日でした。

――LiLiCoさんの骨身を惜しまないケアがあってのことかもしれませんね。本当に良かったです。

LiLiCo 9歳とはいえ、突然お世話をしなくてはならない存在ができると、もうそれは「母」のようになるしかないんですよね。日本の9歳とはちょっと違って、スウェーデンの9歳ってだいぶませていたりするんですけど。

「産んだ覚えがない」母から冷たい言葉を毎日浴びせられる

――ヤングケアラーと言いますか、子どもにとっては相当な負担だったと思いますが、ご両親はどうされていたのでしょう。

LiLiCo 弟が生まれたあとすぐに、お父さんが家を出て行ったというのもあるんですけど、産んだ子どもが病気で長く生きられないとなると、母親が精神的に参っちゃって。多分その頃から、お母さんには自殺願望があったと思うんです。

©三宅史郎/文藝春秋

 私は「この子が3歳までしか生きられないなら、本当に大事に、大事にして、贅沢をさせてあげたい」と思って必死に弟の面倒を見ていたんですが、その一方でお母さんとの仲がどんどん悪くなってしまいました。私が弟の面倒をずっと見ているから、弟はいつも私のほうに来るんだけど、そうするとお母さんは面白くなくてすごく機嫌が悪くなってしまう。

――機嫌が悪いとお母様はどんな風になっていましたか。