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LiLiCo 母はスウェーデンにいながらも、ずっと日本のことを愛していたんだろうなと感じたんです。でも母には「帰っても仕事がないだろう」というジレンマがあったのかなって。彼女がいた頃の昔の日本は、女性の再就職が難しい時代だったから、そのイメージがあったんだと思います。

 あとは、これは初めて話すんですけど、母の母、つまり私の祖母が、母に強く当たっていたんじゃないかと思う部分もあって。

©三宅史郎/文藝春秋

――親子関係があまりよくなかったということですか。

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LiLiCo 私にとっておばあちゃんはすごくいい人だったんです。日本語がまったくわからない私にも、とても優しくしてくれました。でも私に恋人ができたとき、一緒にいるところをすごい目で睨まれたことがあって。

「この人が好きな人です」とちゃんと紹介して挨拶すればよかったのかもしれないけれど、当時は「ああ、やっぱり男を作っちゃいけないのか」と思ってしまって。

 おばあちゃんは夫、私のおじいちゃんを57歳のときに癌で亡くしているんです。だから1人で頑張らなきゃいけないというプレッシャーも強かったんじゃないかな。それですごく強くて厳しい人として振る舞ってきちゃって、お母さんはその環境にいたのがしんどかったんじゃないかなと。

――お母様の生前、そんなお話をすることもなかったのでしょうか。

LiLiCo なかったです。だから今は「親の人生の話をもっと聞けていたらよかったのになあ」と思っています。推測するしかないんだけど、お母さんはそういう事情があって、日本に戻らない選択をしたんじゃないかな。

日本の芸能界に憧れを持ったきっかけ

――LiLiCoさんは病気の弟さんの面倒でただでさえ苦労されていたなかで、お母さんのご機嫌を取らなければ傷付けられてしまう環境にあったと思いますが、当時、何か心の支えになっていたことはあったんでしょうか。

LiLiCo 10歳の夏休みに、1週間くらい日本に来たことがあって。そのときに日本のテレビを見て、ものすごく刺激を受けたんです。スウェーデンには2つのチャンネルしかなかったし、コマーシャルなんかも映画館に行かないと見られなかったから、まるで「夢のような箱」だったんですね、私にとって日本のテレビって。

©三宅史郎/文藝春秋

 それから日本の芸能界に憧れるようになって、「いつか日本に行って、絶対にスターになってやる」ってずっと思っていたんですよ。

――それがパワーになったと言いますか。