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沢田研二が語っていた、盟友・萩原健一との“友愛”「ショーケンは僕のこと、もう相手にしないと思うのね」

『ジュリーがいた 沢田研二、56年の光芒』#1

2023/06/23

source : 週刊文春出版部

genre : エンタメ, 芸能, テレビ・ラジオ, 読書

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 ここで「恋人」と言ってしまうショーケンに、言わせてしまうジュリー。井上堯之の名前が出てくるのは男たちの連帯の話だからで、ステージでのキスの演技も、「恋人」と呼ぶことも社会への反抗、常識を覆し既成概念を壊していくロック精神そのもののふるまいだった。だが、もちろん、互いに誰が「恋人」でもいいわけではなかった。

 萩原健一にとって、沢田研二は出会った時から尊敬すべき相手であった。

©文藝春秋

中高時代は不良だったと公言

 大下英治の『ショーケン天才と狂気』には、小倉一郎に「ジュリーを無条件で尊敬してるんだ。喧嘩がめっぽう強いんだ」と話す萩原のエピソードが登場する。萩原自身は、GS時代の出来事として、大阪でGS大会があった後、暴力団に拉致された時の逸話を自著に記していた。

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 沢田と萩原と堺正章と布施明の4人が無理矢理車へ乗せられ、連れて行かれたクラブで「歌え!」と強要されたという場面である。

〈ぼくは黙ってた。泣きそうな顔しているのもいれば、「歌っちゃおうよ」と言ってるのもいたけれど、キッパリと断ったのが沢田です。ヤクザに、面と向かってこう言った。/「歌えないよ」/偉い。こいつ、度胸あるなあ、と思った〉(『ショーケン』)

 ジュリーもショーケンも、中高時代は不良だったと公言している。だが、萩原が女の子にモテまくった軟派であるのに対して、沢田はモテはしてもまったくの硬派で、あの頃の京都の中高生の間では「岡中の沢田」の名は鳴り響いていた。岡崎中学時代、野球部で一緒だった親友、山田正樹が語っていた。

〈沢田は、級長なんかもやってるくせに、俺たちが喧嘩をしていると飛び込んできた〉(「女性自身」74年6月1日号)

 山田はここで、喧嘩に明け暮れても宿題を忘れたことのない親友の真面目さも話している。

ヤクザを一発でKOしたジュリー

 瞳みのるは、ファニーズ時代、「ナンバ一番」で演奏を終えた帰りに難波で喧嘩になり、一発でヤクザをKOした沢田の蹴りを見た時の気持ちを書いていた。

〈沢田の喧嘩の強さは僕の脳裏に焼きついて、以後口喧嘩はともかく、彼と殴り合いの喧嘩は絶対にしないようにと心した〉(『ロング・グッバイのあとで』)

 沢田自身の弁はこうだ。