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戦車や巨大な軍勢も入れないアナーキーな“特別エリア”…カオスすぎる“ナゾのイラク湿地帯”には何がある?

2023/07/29

source : ライフスタイル出版

genre : エンタメ, スポーツ, 読書, 国際, ライフスタイル

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「湿地帯の王」がコミュニスト仲間とともに反政府ゲリラ戦を展開

――フセイン軍に抵抗したアウトローたちについても教えてください。

高野 私が取材した「湿地帯の王(アミール)」ことカリーム・マホウドは、イラク国外ではほとんど知られていませんが、80年代末からフセイン政権崩壊までアフワールで反政府ゲリラ活動を行っていたことで有名な人物です。

 彼は「新しい政党をつくりたい」と周囲に話していただけで、フセイン政権下で8年も投獄されていたのですが、興味深いのは刑務所でチェ・ゲバラや毛沢東の本を読み込んでいたこと。思想犯として捕まっていたコミュニストたちとともに。

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 出所後、コミュニストの仲間たちとともにアフワールに入ってゲリラ戦を展開。多いときは1300人規模の仲間で、政府軍から奪った爆弾やロケットランチャーで戦っていたという。イラクは中東のなかでも共産党が強くて有名なところですが、湿地帯の貧しい人たちに共産主義は訴えるものが大きかったのだと思います。アミールは「湿地民ほど親切で情に篤い人たちはいない」と彼らの助けに感謝していましたから。

「湿地の王」カリーム・マホウド(中央) ©高野秀行

湿地帯に逃げ込んだ反フセイン反乱軍の戦い

――イスラム主義の反体制ではなく、実は湿地帯がコミュニストの牙城だったとはすごい話ですね。

高野 その背景には、コミュニストの教師は冷遇され、左遷のような形で湿地帯に赴任させられますから、湿地民のあいだで共産主義教育が浸透していたこともあるようです。

 さらに興味深いのは、湾岸戦争直後、多国籍軍によって敗北したイラク軍がクウェートから撤退する途中、反フセインの反乱軍が結成され、民衆も支持したんですね。自分たちが立ち上がれば米軍が助けてくれると信じて。ところがアメリカはフセインを潰すとすぐ隣の宿敵イランを利することから、動かなかった。

フセインが造った堤防を壊した跡 ©高野秀行

 形勢が逆転し、フセインの部隊の武装ヘリにより反乱軍は鎮圧。何万人もの兵士とシーア派住人が死に、生き残った人々は湿地帯に逃げ込みました。残党の息の根をとめるべく、フセインは91年からアフワールに流れこむ水を堰き止めますが、アミールいわく「戦うのには全然問題なかった」。ベトコンのごとく乾燥した地下にトンネルをほって隠れ、やってきた戦車に爆弾を仕掛けて破壊したのだとか。しかしその後、イラン側にも水をとめられアフワールは追い込まれていったんです。

 歴史に「もしも」はありませんが、湾岸戦争後、アミールのような反骨精神あふれる好漢たちがフセインの独裁政権を倒せていたら、イラク人による主体的な国づくりが実現し、イラクはこれほどまでにめちゃくちゃになり多くの人命が失われなかったんじゃないかと思います。

ネイチャーイラクの代表ジャーシム ©高野秀行

――中東史の思わぬ裏側が浮き彫りになりますね。湿地帯はどのように回復したのでしょうか。

高野 私が行動を共にしていた、NGOネイチャーイラクの現地代表ジャーシムは尋常でない「湿地愛」に溢れた人でした。浮島で生まれ育った彼は生粋の湿地民で、水資源省で水利専門の技術者として働いたあと、湿地帯の復興に力を注ぎます。フセイン政権が倒れたあと、新政府と現地の人々で水を堰き止めていた堤防を破壊したり水門をつくったこと、またジャーシムが荒療治として打ち出した、ユーフラテス川の水を流入させる施策で、かつての7割ほどにまで湿地帯を蘇らせたんです。