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車いすで世界一周に挑んだ僕が、アテネで謎のインド人についていき、最終的に自分を恥じた話

『No Rain, No Rainbow 一度死んだ僕の、車いす世界一周』(光文社)

2019/08/07
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 18歳のとき、バイク事故で頸髄損傷を負ったことで、車いす生活を余儀なくされた三代達也さん。過酷なリハビリを経た後、会社員時代に思い切ってハワイを一人旅したときに体感した「世界の広さ」に魅了された三代さんは、遂に世界一周を決意することに。世界のバリアフリー情報を発信するため、あえて介助者をつけず1人で「車いす旅」に挑んだ三代さんは、その旅行記を『No Rain, No Rainbow 一度死んだ僕の、車いす世界一周』にまとめています。現在発売中の同書から、アテネ篇を特別公開!

◆◆◆

アテネの始まりは地獄だった。

 深夜23時、アテネの空港に到着。そこから電車に揺られ、数十分。宿泊先の最寄り駅周辺は閑散としていて、そこにいるのは酔っ払いと警察とタクシードライバーのみ。あぁ、なんだか嫌な予感。

 ホステルへ着くと、まず入り口に大きな段差が1段。深夜1時。周りには誰もいない。ひたすら外で待っていると、ようやくホステルの管理人のおじさんが現れて目が合ったので、入れてくれと必死でアピールする。おじさんは、「こんな深夜になんだ」と言ったような顔つきで、僕に話しかける。

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「えっ、客? 予約はちゃんとしてるの? 見ての通り、ここは車椅子が泊まれるようなホテルじゃないよ?」

 早速、きつめのジャブ3連発。わかってる。でもここしか空いてなかったんだ。

 超メジャー観光地アテネのホテル空室状況は、悲惨なものだった。ホテル予約サイトで見ても、入り口に5段以上あるホテルか、1泊5、6万円もするホテルしか空いてなかった。ここは入り口に段差が1段でまだマシ、しかも1泊2000円ときたもんだ。飛び込みは厳しいのは承知の上で、このホステルを選んだ。

 しぶしぶ中に入れてもらえると、廊下は薄暗く、静かで薄気味悪かった。なんとか部屋に案内されると、そこは2段ベッドが4つある8人部屋。時間が時間だったので、僕以外の7人のゲストは深く静かに眠りについていた。

 ここでショッキングな光景を目にする。4つある二段ベッドの下段が、全て埋まっていたのだ。

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 管理人は「君、上のベッドに登れる?」

 と、なんでもないような顔で聞いてくれるが、もちろん不可能。

「No」

 と答えると、意を決した様子の管理人が、下に寝ている大男を起こしにかかってくれた。大男は最初管理人を無視したが、管理人もしまいには彼を揺すって、なんとか起こすことに成功した。大男はパンツ一枚のほぼ全裸姿で、190センチ、120キロはあろう巨体を気だるく動かしながら、管理人にひと睨み利かすと、しぶしぶ上のベッドへ登っていった。

 あぁ、僕がもっと普通の時間帯に着くフライトを見つけていれば、こんなことにはならなかっただろう。そのときの僕の心は、冬のシベリアのごとく冷え切ってしまっていた。