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車いすで世界一周に挑んだ僕が、アテネで謎のインド人についていき、最終的に自分を恥じた話

『No Rain, No Rainbow 一度死んだ僕の、車いす世界一周』(光文社)

2019/08/07
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 ひとしきり見て回って、帰りも同じように助けを借りてなんとか街まで戻ってきた。

 驚いたことに、こんなに手を尽くしてくれたのにもかかわらず、その後も彼はツアー代や金銭を一切要求することがなかった。僕はせめてものお礼にと、彼をギリシャ料理のレストランに誘った。

パルテノン神殿。苦労したけど来られて本当によかった ©三代達也

 彼は20歳そこそこでインドを出て、2年かけてギリシャまで歩いてきたという。ギリシャに来て25年。今では、アテネ界隈でトータル50部屋以上を持つホステルのマネージャーを務めているらしい。20代という若さで自分の国を捨て、見知らぬ国で生きる覚悟を持つことは並大抵の気持ちではできないと思う。彼はいつも笑顔だった。

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 別れ際、「どうして僕を助けようと思ったの?」という僕の問いに対して、彼はこう答えた。

「俺たちは宇宙生まれの宇宙育ち。そんな世界で、性別や年齢、障害なんて関係ない。俺は今日時間があって、体が動いて、君を助けることができた。そんな1日を与えてくれてありがとう」

 くだらない疑念を彼に対して抱いていたことを恥じた。もちろん、すべての人間が彼のような人間ではないだろうけど、人を疑って何もしないくらいなら、人を信じて何か起こる人生のほうが絶対に楽しい。

 明日は誰と出会って何が起こるのか。想像のつかない人生を歩むのは、なんてワクワクするのだろう。

車いすで世界一周に挑んだ僕が、アテネで謎のインド人についていき、最終的に自分を恥じた話

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