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「あなたの力で難病を治してください」23歳女性のもとに日本中から依頼が殺到!? “催眠術ブーム”の陰で起こった「千里眼」事件とは

「あなたの力で難病を治してください」23歳女性のもとに日本中から依頼が殺到!? “催眠術ブーム”の陰で起こった「千里眼」事件とは

「千里眼」事件#1

2023/08/25

genre : ニュース, 社会

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 そんな風潮の中で、催眠の心理学的研究で学位を取得し、学問的な立場から積極的な発言を続けていたのが、この「千里眼事件」の中心人物、福來友吉(ふくらいともきち)・東京帝国大学文科大学(現東大文学部)助教授(当時)だった。現在の岐阜県高山市出身。代用教員(※旧制度の小学校で、免許状をもたずに教員を勤めた者のこと)をするなど、苦学して東京帝大に入り、将来を嘱望された心理学者だった。『千里眼の女・御船千鶴子の栄光と落魄』によると1909年5月、上京した井芹は福來を訪ねて千鶴子の透視能力の研究を勧めた。

福來友吉(『實業少年』より)

 木下の時と同様、井芹が千鶴子の存在を強力に“売り込んで”いたことが分かる。その木下は京都帝国大学医科大学の今村新吉教授(精神科医)に千鶴子の研究をするよう話した。

学者たちが関心をもち、千鶴子は“実験”へ臨む

 翌1910(明治43)年2月23日付の九州日日新聞(熊本日日新聞の前身の1つ)は社会面トップで「今村博士の自己睡眠の實驗(実験)談 鐵(鉄) 瓶中の名刺が分る」の見出しで次のように報じた。

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 京都医科大学教授、医学博士・今村新吉氏は市外本庄村(現熊本市)、清原千鶴子の自己催眠状態についての試験のため熊本を来訪。20、21の両日にわたって前後13回の試験を行った。

 記事はこの後、今村の話として続く。

 試験の方法は簡単。名刺または名刺型の紙片に、あるいは文字、あるいは文様などを記したものか、白紙のままを厚紙、色紙もしくは金属の中に包み置いて、中の文字や文様などを感知できるかどうかを試験する。

 しかし、こうした人は感情が激しくて神経を悩ませることが多いか、恐怖心に捉われやすいので、試験されるといえば、少なからず神経を痛める傾向がある。今回も前夜来、安眠できず食欲も進まなかったということで、第1日の試験は結果が比較的よくなかった。だが第2日はやや安心したと見え、試験の結果も前日よりよかった。2日間を通じて前後13回のうち、間違えたのは2回。それと1回、名刺の文字を書くのに「雄」を「夫」と間違えただけで、ほかは全て感知できた。ことに最後の試験として、鉄瓶の中に1枚の名刺を入れてみたが、2分とかからずに正確に感知できた

 疑問となる問題を付け加えた。

 通例、試験者に背を向けて座り、沈思黙考することしばし(長いと30分以上を費やすことがある)、包みの中の名刺の文字などを知るのだが、対面で座って試験物を前に置いた時は間違った。

 あるいは、手で触ることが必要だということかもしれない。「雄」を「夫」と間違えたのは、覚醒後、おぼろげな記憶をたどって書くまでに錯誤が生じたのかもしれず、はじめから感知できなかったとは断じられない。この状態はトランス、すなわち自己催眠と称すべきもので、人は五感の感触以外に妙な感知の能力を有するとみることができ、千鶴子の場合はその能力が極度に発達したものだ。

 今村の実験はおおむね成功だったとみられる。九州日日の記事には、千鶴子の写真も小さく添えられている。

熊本での今村の実験を千鶴子の写真入りで報じた九州日日