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「ピカドンの話はお袋が夏になるとポロポロと話してくれた」…カメラマン・三浦憲治(74)が8月6日のヒロシマを撮り続ける理由

ミウラヒロシマ2023

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 吉永小百合、矢沢永吉、松任谷由実、奥田民生、福山雅治……数々の人気アーティスト、そして国内外の人気俳優たちを撮り続けて半世紀。ロックカメラマンの草分けと言われる三浦憲治(74)の写真展「ミウラヒロシマ」が8月22日から東京・恵比寿でスタートする。

 10年目を迎えた今年も三浦が撮影したのは、8月6日早朝から数日間の広島市内だ。自らの故郷の写真に込めた思いとは――。

©三浦憲治

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なぜヒロシマを撮り始めたのか?

――今から約10年前、なぜ故郷の広島を撮影しようと思ったのですか?

三浦 それまではライブや芝居などジャンルを決めないで自分が好きなように撮ってきたんだけれど、先輩カメラマンの半沢克夫さんからアドバイスを頂いてね。「何かひとつテーマを決めて撮り続けることもいいんじゃないの?自分が生まれた広島なんてどう?」と。

 よく考えてみたら高校時代の写真部以来、広島はちゃんと撮っていなかったんだ。ユニコーンのライブを撮ったり広島を舞台に奥田民生を撮影したことはあったんだけれど、広島だけ、というのはなくて。それで半沢さんにも言われたし、18歳で上京してから50年以上離れている広島が気になって撮り始めたんだ。

――「8月6日の広島の写真」と聞くと、どうしても重くて暗い写真を想像します。でも三浦さんの写真はどこか温かみがあり、優しさを感じさせます。

三浦 広島の写真って、だいたいお爺さんやお婆さんが平和記念公園で拝んでいる写真ばかりじゃない?でもそうじゃないんだ。子供や学生が遊んでいたり、外国人がいたり、「夕凪」っていうんだけれど、夕方に急に風がパタッと止まって蒸し暑くなったり……、どこにも載っていない三浦憲治なりの広島を見たい、思い出に浸るだけじゃなくて今を撮りたいなと思って毎年撮影しているよ。