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「私は母の債務なのだろうか」“不倫の子”ゆえに生きづらさを感じたことも…そんな東大卒作家を救った「本妻の子の言葉」とは?

「私は母の債務なのだろうか」“不倫の子”ゆえに生きづらさを感じたことも…そんな東大卒作家を救った「本妻の子の言葉」とは?

ハミ山クリニカインタビュー #2

2023/09/18

genre : ライフ, 社会

note

 しかし、両親が婚姻関係にないことが判明するまでにも、度々生活の中で気づくチャンスはあったようだ。自分と父の苗字が違ったり、父の携帯に「家」という名前で知らない番号が登録されていたり。

「なぜか私がそこから先を考えずにいたのは、社会的には問題なく生活できてしまっていたからかもしれません。自分の場合は、学校生活や受験で、婚外子だから不利になるということも全くありませんでした。

 また、気づかなかった理由に『家庭内のことに外部が介入してこなかった』というのもあるでしょう。汚部屋で生活は荒れていましたし、母はヒステリックで支配的でしたが、私の顔にあざがあるとか身なりが過度にひどいとか目に見て分かりやすい問題があるわけではなく、成績も別に悪くはない。すると外部からは問題ない家庭だと思われ、介入されないんですよね。親戚も遠方だったので付き合いがなく、私も自分の家と他の家庭を比べる機会もない。でも、皆は自分とどこか違うという違和感・不信感はあり、友だちの輪に入れなかったり、遊んでいてもフッと疎外感を感じたり。

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 幸せな暮らしをしているクラスメイトへのやっかみ的な感情もあるかもしれません。そうやって友達付き合いも減っていくと、汚部屋という特殊な環境でどんどん閉鎖的になっていきました。すると逆に家庭内の連帯が強くなり、自分たち以外は敵とまでは言わなくとも『無関係な人たち』という認識になる。そうなると、誰かに悩みを相談しようとはならない。だからある程度の年齢になるまで、家庭の歪みや両親の関係に気づくことができなかったのかもしれません」

子どもながらに感じた「父のずるさ」

 父からの生活費が途切れた経緯が前作『汚部屋そだちの東大生』では触れられているが、新刊『なんで私が不倫の子』では、より心理的な部分での「無責任な父」のリアルが、さまざまなエピソードから浮かび上がる。

「今自分が親になって改めてふりかえると、結局子育ての大変なところは全部母が背負っていたことをひしひしと感じています。

 私は父が大好きだったけど、父のやっていたことは、親戚のおじさんとかが夏休みとかたまに会う子どもを可愛がるだけのような感じ。お土産やおいしいごはんやおやつはたくさんくれたけれど、私が中学時代に摂食障害になって苦しんでいたときや、母との関係に悩んで助けを求めようともがいていたときなど、対応が大変そうな問題が生じると見て見ぬふりをして何もしてくれなかった。母のつらさも、無視していたのではないでしょうか。意図的にしろ、無意識にしろ、そこにはずるさがあったと思います」