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人生に「夢を持つ」のはやめなさい…マツコに学ぶ「自分は負け組だ」と落ち込む人が根本的に勘違いしていること

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genre : ライフ, 芸能, 社会, ライフスタイル

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「大学に進んだら体育会に入りたいが、他校とレベルが違い過ぎる競技で負け続けるのもイヤだな」と考える学生が、上記のような競技を選ぶのだ。「野球では名門私立には勝てないが、大学から始める人も多いアメフトやボート、ダンスであれば勝てるかもしれない」といった判断をする。これは実現可能性を冷静に見極めた「目標」である。

私が一橋大の学生だった1993年、「我が大学に日本代表選手がいる」という話を聞いた。その競技とは一体なにか。

まさかのカバディである。これが事実かどうかを日本カバディ協会に尋ねたところ「確かに1990年代前半、一橋の男子学生が日本代表でした」という回答を得た。本人に会ったことがないので真意はわからないが、彼には「あまり知られていないスポーツであれば、日本代表になれる可能性は高いはず」といった考えもあったのでは。もちろん、純粋にカバディが好きだったからこそ、高いレベルに到達できたのだと思う。そのうえで「選手層の厚い有名競技より日本代表に選出されやすい」ことも意識しながら、具体的な「目標」として努力したのだろうと想像する。

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「日本代表」の称号は、相当インパクトが強い。就職・転職活動では強力なアピール材料になるだろう。ビジネスでも私生活でも、印象的な話題としてウケがいいはずだ。現役を離れてそれなりの年数が経った後も「日本代表経験がある」という実績を知れば、周囲から一定の敬意を抱いてもらえるに違いない。「母校に日本代表がいる」ということを知ったとき、私は「夢より目標」の重要性をより深く理解した。

「憧れの人と一緒に仕事がしたい」が夢から目標に変わる

以前、当連載で「夢」に関する私見を述べたが(「"世界に一つだけの花"というウソ」夢をあきらめる人生のほうが絶対に幸せだ)、そこでも触れたように、私は20代前半の頃から「いつか作家・椎名誠氏と一緒に仕事をしたい」という夢を持っていた。30代中盤あたりまでは、文字どおり夢のままだった。しかし、35歳のときに自著『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)が売れ、さまざまなメディアから取材を受けたり、寄稿を依頼されたりするようになる。そうした場面で「尊敬する人は椎名誠さん」「椎名さんから強い影響を受けた」と、私はしきりに口にした。

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