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2歳の子どもや妊婦を殺した犯人に、村から「見舞金」が…凄惨な虐殺事件の背景にあった根深い“差別”とは

『福田村事件 -関東大震災・知られざる悲劇』より #2

2023/10/22
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見直しが進む被差別部落民の歴史

 被差別部落民の歴史は近年見直しが進んでいる。見直しの論点は多岐にわたるが、その最大の論点のひとつが、“江戸幕府は「士農工商」という厳しい身分序列を制定し、被支配身分の「農工商」の不満を和らげるために、「穢多(えた)、非人」というさらに下位の身分をおいた”という通説をめぐるものである。

 この通説の問題点として、「農」「工」「商」の間に実際は序列はなかったことが近年つとに指摘されるようになったが、「穢多、非人」についても問題が複数ある。

 一つだけ挙げるなら、「穢多」という呼称が全国的に広まったのは江戸時代中期だが、その蔑称自体は鎌倉時代から存在していた。よって江戸幕府が、以前からあった差別の実態を温存または利用したとは言えても、少なくとも作り出したとは言えない。それゆえ幕府が滅んでも部落差別はそのまま残った。

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 明治4年(1871年)の太政官布告で、賤民廃止令が出され、穢多・非人などの被差別身分を廃止し、職業の自由を認めた。法制上は身分を解放されたものの、社会的差別は依然として根絶されていない。相手が部落出身者ということで結婚が破談になった悲劇は枚挙にいとまがない。結婚後は、妻の姓を名乗る人も多いという。「部落」に関する話題となると、ヒソヒソと小声で語られることが多い。

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 私の故郷は福岡県だが、村から少し離れた小高い丘の上に、こんもりとした樹木に覆われた小さな集落があった。そこの人たちは、ほかの村人とはほとんど交流せず、寄り添うように暮らしていた。

 子どもながら違和感を覚えていたが、中学生のときに、母から事情を聞かされ、その存在を初めて知った。母は「みんな血と骨と肉からできた同じ人間じゃけ、ぜったい差別したり、いじめたりしたらいかんよ」と、かんで含めるように言い聞かせた。父も同じ考えだった。私たち兄弟は、その思いを胸に育った。

 結婚後、子どもの家庭訪問の時期に被差別部落のことが話題になることがあった。「行く先々でお茶が出るので、飲みたくない時もあるが、部落で出されるお茶を飲まないと、差別していると思われるし……」と、ある教師が言ったという。

 香川では2年後の1924年(福田村事件の翌年)に、三豊郡観音寺町で県水平社が結成された。1955年(昭和30年)、水平社は部落解放同盟と改称された。