10万人以上の死者を出した関東大震災から9月1日で100年。当時の新聞報道を見ていくと、信じられないような誤報や虚報が大量に紙面に登場していることに驚く。東京の新聞社の多くが壊滅的な被害を受け、情報源が「空白」になる中で、飛び交った膨大な「流言蜚(飛)語」(無責任なうわさ、デマ)をそのまま“垂れ流し”たため、紙面は「フェイクニュース」のオンパレード。それによってさまざまな悲劇が引き起こされた。
最大の例が各地で起きた朝鮮人虐殺だろう。そこからは、被災者、非被災者を問わず、当時の人々に広がっていた不安や恐怖、憎しみがデマやうわさ、新聞報道によって増幅されたことが感じられる。南海トラフや首都直下型の地震の可能性も取り沙汰されるが、関東大震災の報道と受け手の問題は100年前の過去の記憶とは片づけられないリアリティーを持っている。
文中、現在では使われない「差別語」「不快用語」が登場する。文語体の記事などは、見出しのみ原文のまま、本文は適宜、現代文に直して整理。敬称は省略する=特別の表記がない限り、日付は1923(大正12)年9月。(全2回の1回目/後編に続く)
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震災が起きる前日、「明日は平穏無事」と報じられていた
1923年、首相の加藤友三郎・海軍大将が8月24日に病死。同じ海軍の山本権兵衛大将(伯爵)が2度目となる後継首相に推された。山本は挙国一致内閣をつくろうとしたが、当時の政友会、憲政会両党の同意が得られず、組閣は難航。
9月1日は台風が多いとされる二百十日。京都日出新聞(※1)は「明日(1日)は平穏無事 稲には好結果を與へ(与え)る程の強い風が吹く位のもの」を見出しに、中央気象台の藤原咲平博士(のち台長)の談話を載せた。ところが――。
午前11時58分、大地震が神奈川、千葉、東京を中心とした広い地域を襲った。