地震は富士山の爆発と関連? 混乱ぶりが分かる各紙の見出し
震源をめぐる報道が迷走した要因は、揺れが本州から北海道や九州の一部まで達したうえ、大きな被害を受けた地域からの情報発信が途絶えて状況がつかめなかったため、比較的身近な地域を震源と考えたこと。その感覚は1995年の阪神淡路大震災の時に私も経験した。大阪も含めた他の地域からの情報は入ってくるのに、神戸との通信は途絶して状況が全く分からない。そんな時、壊滅しているからだとはなかなか考えつかないものだ。
関東大震災の場合は、さらに富士山の爆発や火山活動との関連が疑われた。各紙の見出しだけを追っても混乱ぶりが分かる。
「地震と駿河湾の大海嘯 富士山爆發(発)の變(変)じたものか」(1日付大朝第2号外)
「濃尾地方の大地震」(1日発行2日付京城日報夕刊)※2
「関西地方の大激震」(1日発行2日付満洲日日新聞夕刊)※3
「震源地は富士山麓と斷(断)定」(2日付信濃毎日新聞付録)
「震源地は見當(当)が付かず」(2日付名古屋新聞)※4
「震源地は天城か 伊豆半島沿岸被害甚大」(2日付神戸新聞)
「震源地観測區(区)々(くく=まちまち) 信濃川口五十米(メートル)沖か」(2日付山陽新報)※5
「海嘯(かいしょう)」とは津波のこと。こうした報道の影響か、2日付福岡日日新聞号外の主見出しは「中部日本一帯を襲ふ(う)た驚くべき空前の大地震大慘(惨)事」となっている。震源についての東京帝大地震学教室の見解は当初からほぼ変わらなかったが、報道の迷走は長く続いた。それは東京から離れた地域の新聞から始まったといえるようだ。
これらはまだ誤報の段階かもしれないが、虚報と言っていいニュースも数えきれないほど現れ始めた。当時、国内通信を請け負っていた電報通信社(現電通)と帝国通信社が、社屋倒壊で業務不能になったことが地方紙には大きな痛手だった。
しかし、誤報、虚報は地方紙だけの問題ではなかった。特に、被害状況についてはとんでもない報道も。情報源も付記して例を挙げる。
「横濱(浜)市遂に全滅す 死傷者何萬なるか知らず」(大阪)=2日付名古屋
「千葉市も全焼す」(松本電話)=3日付大朝第3号外
「横須賀海兵団全滅 飛行機上から見た軍港内の大惨状」(仙台鉄道局着報)=3日付河北新報
「大東京遂に全滅」(久邇宮家家令の談話)=3日付名古屋
「海嘯襲来小田原全滅 死傷者多數の見込み」(小田原)=同
「名古屋も全滅」(船橋無線電信局発)=4日付小樽新聞※6
「東京市の灰燼中には十三萬の死體(体)が重なる 燒(焼)野原の横濱市には六萬の死體 新聞の報道は未(ま)だ未だ輕(軽)微である」(避難者の話)=4日付山陽
「全滅」続出だが、このあたりまでは大げさな表現と言えなくもない。