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歴代首相が次々に“殺された”? 関東大震災でマスコミが報じたありえないフェイクニュースの数々

デマと虚報の関東大震災 #1

2023/09/08
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交通は全滅、通信は途絶「さんたんたるありさまとなった」

 東京市(当時)中、日刊の新聞紙17種のうち、丸の内にあった東京日日新聞(東日=現毎日新聞)、報知新聞、内幸町にあった都新聞(現東京新聞)を除いてことごとく火災の厄に遭い、焼け残った3社といえども、社屋の焼尽を免れたというだけで、新聞製作上の生命となる活字ケースは乱れ倒れ、何百万の活字はめちゃめちゃになった。交通機関は全滅し、通信機関は途絶して、ここに報道の機能はほとんどその用を果たさぬ、さんたんたるありさまとなった=伊藤正徳『新聞五十年史』(1943年)。

焼け野原になった新橋付近の様子(『婦女界』1923年10月号より)

 その東日では――。

 一時、宮城二重橋へ避難した社員が余震の甚だしい中に呼び戻されて、「新聞は絶対に休刊しない」という城戸(元亮)主筆の方針により、続々収集された材料で号外を編集した。しかし(停電で)動力がない。足踏み機械で第1号外を数百枚印刷して、社員が手分けして飛び出し、市内の要所要所に張り出し、避難民の集まっている所にまいた。時は午後2時ごろである=『東日七十年史』(1941年)。

 その第1号外は次のような内容だった。

本日の大地震
家屋の倒れ、死傷多数
火事、八方に起る

 

 本日午前11時55分、伊豆大島の東海底に地滑りがあったため、東京府(当時)下及び神奈川、千葉、静岡各県に大激震があった。振幅4寸(約12センチ)。市内は本所、浅草、深川などの低地が最も被害が甚だしく、家屋の倒壊、死傷無数。火災が各所に起こった。主な所は次のようだった。

 

▽日比谷・警視庁及び帝国劇場付近一帯▽帝室林野管理局▽内務省▽高輪御殿▽目白・学習院▽神田・救世軍本営及びその付近▽日本橋本町・三共製薬、ねこいらず本舗、いかや旅館など▽飯田橋から大曲に至る一帯▽四谷区(現新宿区)追分から新宿大通り▽浅草・玉姫町

 

 東京帝大(現東大)内にも出火があり、浅草の十二階も倒壊した。


 なお今後、災害が起きるほどの強震はないが、津波を警戒する必要があると東京帝大地震学教室が発表した。

英字紙The Japan Timesは社屋壊滅を免れ、9月4日付から震災を報じ始めた

 

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 報知新聞編集局編『今日の新聞』(1925年)によれば、報知も活字ケースが引っくり返って使えなくなったが、予備の活字と手刷り機械で「全市大半焼土と化し、死傷數萬(数万)に上らん」という号外を午後3時ごろ発行し、号外を張り出した。