首相の消息を巡って情報は錯綜「地震のために惨死」「暗殺」
最初は2日付大朝第2号外。「山本伯暗殺の風説 未だ尚ほ(なお)信ぜられず」で「激震の最中、何者かに暗殺されたという風説が伝わる。流言が頻々としており、本社はなお極力取材中だが、いまも信じられない」と書いた。大朝は同日の第4号外でも「松本(長野県)電話」として「山本伯狙は(わ)る」の見出し。組閣の親任式を終え、水交社に引き揚げた際、午後3時ごろ、数名の暴漢が現れ、殺害しようとしたが、山本は巧みに姿を消した、とした。
ところが、同じ見出しの3日付大朝は途中までは同じ内容なのに、末尾に「一説には、地震のために惨死したともいわれている」と記述。他紙では2日発行3日付河北夕刊が「山本伯暗殺説」と見出しを立てつつ「にわかに信用できない」とした。震災死や暗殺説はうわさだったが、「山本伯は土塗(まみ)れで水交社を逃る」(3日付福岡日日)などの避難説も含め、多くの新聞が記事を載せた。
そんな中、冷静な新聞もあった。3日付上毛新聞は「山本伯組閣協議中 地震で右足を微傷す」、同日付静岡民友新聞(※7)は暗殺の風聞を認めたうえで「これを聞いた者は上野運輸事務所の者の口から出たということだが、何ら根拠は認められず、同時に打ち消すべき確証もない」と正直だった。
山本よりもっと明確に、紙面上で“殺された”のは薩摩出身の元首相・松方正義だ。
3日付大朝の第4号外に「松方公危篤」「鎌倉に避暑中の松方公は震災のために重傷を負い、生命危篤である」とある。そして、4日付の各紙には異なる記事が載る。
河北は「松方公薨去(こうきょ=位階の高い人物の死去のことを指す) 名古屋鉄道局着電によれば、松方公は薨去した」という短い記事がある。山陽も同じ情報源で同じ内容だが、正装の写真が添えられた。神戸も「長野経由松本電報」で「危篤に陥った松方公が薨去」とこちらも写真付き。福岡日日第1号外も「薨去」で「名古屋電話」とあるので、河北、山陽と同じ情報源だろうか。
一方、上毛は情報源なしで「松方公は危篤」のままで、名古屋は「負傷の趣」。4日発行5日付の信濃毎日と山陽、福岡日日は「鎌倉別邸に避暑中だったが、震災と同時に家屋倒壊し2日、屋根の下敷きとなって惨死しているのを発見し、3日、宮内省(当時)に届け出た」と同内容。通信社の配信記事と思われるが「名古屋電話」とあるので、これも名古屋鉄道局がネタ元か。確定的な書き方で、これでは読者も信じてしまう。しかし――。