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松方元首相の「死因」「追悼談」まで掲載されたが…

 5日付東日は「横死を傳へ(伝え)られた松方公は無事」「4日に至って、全く誤報で無事であることが判明。知人宅に避難している」と情報源抜きで報じた。社屋壊滅を免れた報知は5日付から発行を再開したが、その紙面で、松方は倒壊した家屋の下敷きになったが、駆け付けた報知の特派員に救助されたと報道。6日付名古屋も「無事であるとの情報が5日、宮内省に到着した(東京)」とした。これも通信社電か。7日付神戸には「長野電話」として、圧死と伝えられていたが、それは全く誤報で、地震で家屋は倒壊したが、本人は2階階段のそばに身をかがめ、けがもなく救出されたと具体的に書いた。

 一方、東日の無事報道後の6日付で上毛は「避難の際の背中の打撲」と死因まで記述。京都日出は京都の経済人の追悼談まで載せた。

 加藤友三郎の前の首相で、のちに二・二六事件で殺害される高橋是清・政友会総裁も被害者だった。4日付山陽は1面トップで「政友會(会)幹部の壓(圧)死説 高橋總(総)裁首(はじ)め幹部の廿(二十)名」と報じた。

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「政友会本部で幹部会を開き、協議中だった高橋総裁はじめ二十余名の幹部は、本部建物の倒壊とともに避難するひまもなく、全部圧死したとの報を中央線の一車掌がもたらした(松本電話)」という内容で、最後に「なお政友会本部よりは岡山支部に対し、無事だという情報が達している」と付記している。同じ日付の京城日報も高橋の写真入りでほぼ同内容の報道。一方、同日付の樺太日日新聞(※8)は情報源なしで「政友会本部倒壊の際、高橋是清氏惨死せり」と確定的に報じた。

一部の新聞には「死亡」と「生存」の情報が同時に掲載された(小樽新聞)

皇族についても誤報が打たれた

皇族の「薨去説」「大島島民全部溺死」などと、虚報が紙面を覆った(山陽新報)

 5日付の小樽新聞には「青森発」の「高橋總裁壓(圧)死」と「(北海)道庁着別報」の「高橋總裁無事」、そして「青森発」の「松方公薨去」が同居している。しかし、6日付で神戸は「壓死説を傳へられた政友会幹部健在」の見出しで「高橋総裁 赤坂表町の屋敷は無事で、家族一同は裏庭にテントを張ってその中に住まっている」とあっさり打ち消した。ほかにも、皇族の数人が写真入りで「薨去」と誤報を打たれた。

※1 京都日出新聞:京都新聞の前身の1つ
※2 京城日報:当時日本領だった朝鮮で発行されていた日本語新聞
※3 満洲日日:日本の傀儡国家とされた満州国(現中国東北部)で発行されていた日本語新聞
※4 名古屋新聞:中日新聞の前身の1つ
※5 山陽新報:山陽新聞の前身の1つ
※6 小樽新聞:北海道新聞の前身の1つ
※7 静岡民友新聞:静岡新聞の前身の1つ
※8 樺太日日新聞:当時日本領だった樺太南部で発行されていた新聞