「富士山の形が変わった」「新島が出現」報道はエスカレート
報道はエスカレートして、中には笑い話のようなものもあった。
「本所深川にも海嘯起る 隅田川氾濫流失家屋多數」(長野電話)=2日付大朝号外
「到處(至る所)死屍累々 品川海嘯で全滅」(高崎にて)=2日付信濃毎日付録
「甲府市も全滅 全市家屋倒潰(壊)の後ち(のち) 大火災…殆(ほと)んど焦土」(長野来電)=2日発行3日付京都日出夕刊
「小笠原島海原と化す 海上より島影認めず」(宇都宮経由東京電話)=3日付河北
「秩父連山噴火 三十一日朝より始まる」(軽井沢電話)=3日付福岡日日新聞
「木更津全滅」(長野電話)=3日発行4日付山陽夕刊
「横須賀全滅す 熱海の死傷者七萬人」(長野電話)=同
「大島島民全部溺死 全島沈下したとの説」(名古屋電報)=4日発行5日付山陽夕刊
「伊豆大島附近に新島が出現した」(大阪電報)=5日付満洲日日
「富士山の形が變つ(変っ)た 劍(剣)ケ峰が引込み別のがヒヨツ(ヒョッ)クリ」(御殿場)=7日付名古屋
いまならフェイクニュースと呼ばれるようなものもあるが、ほぼ2日から5日に集中。当然ながら、東京以外の場所から発信されたか、東京発であっても、どこかを経由している情報だった。見渡してみると、発信・中継地は大阪、名古屋のほか、静岡、長野、松本(長野県)、高崎(群馬県)、宇都宮などが多い。
2003年に日本新聞博物館(横浜市)で開かれた「関東大震災80周年企画 大震災と報道展」の図録によれば、東朝高崎通信部の吉田四郎記者は1日夜、自動車で高崎を出発して東京に入り、2日午後8時に、戻った高崎から名古屋経由で大朝本社に電話で東京の大火災のルポを吹き込み、3日付大朝朝刊に掲載された。彼の行動で高崎から名古屋経由で大阪との連絡が可能なことが判明。以後、東京から大阪への連絡は浦和(現さいたま市)と高崎経由で行われた。
安全に避難したはずの首相が“殺された”?
最もひどい誤報・虚報とは、人を“殺して”しまうことだろう。
その筆頭が、山本権兵衛首相(2日内閣成立)だった。1日の東日第2号外には、山本の消息の記述がある。組閣中の山本は発生当時、平沼騏一郎(のち首相)と水交社(海軍の将校クラブ)で会談中だったが、最初の揺れで転倒。揺れが収まると裏庭に避難したが、上着は泥に汚れ、痛めたのか右足を引きずっていた。顔面蒼白で、紫色の唇を固く引き締め、苦し気な微笑を漏らした。記者が「お怪我はありませんでしたか」と聞くと、「君たちこそ、どうだ。ハッハッハ」と平気を装っていたという。安全に避難したことは確認されていたはずだった。
しかし、新聞紙面ではそうはならなかった。